煙突のある街【エッセイコンテスト 入選作品】

エッセイコンテスト「第1回 キタキュースタイルカップ」 入選作品

「煙突が無い。」
それが日本に来てから最初に受けた印象だったという。
なんでも中国の地方都市では、どこへ行っても煙突が立ち並んでいるのが当たり前の風景なのだそうで、今では煙突などほとんど見かけることの無い日本の街並みは、当時新鮮に思えた
そうだ。ところが北九州へ行くと、大きな煙突がたくさん立ち並んでいるので、その光景がとても印象的だったと、以前そんな話してくれたのは大学で同じ研究室に所属していた中国出身の研究者だった。

今から10年前の桜の季節、県外の大学を卒業した。
学生証と研究棟の入館証と生協の組合員証が無くなったら、気持ちと共に財布も随分と軽くなったような気がした。
遠賀川を渡る鹿児島本線の鉄橋の音は、自分にとって「もうすぐ北九州」の合図だ。折尾を過ぎて黒崎の駅が近付くにつれ、列車の窓から左手に工場群と巨大な煙突が見えてくる。その車窓に、以前聞いたそんな話を思い出していた。

北九州に生まれ、幼い頃は黒崎の近くに住んでいた。
何本も立ち並ぶ紅白の巨大な煙突は遠くからでもよく目立ち、自然と幼い自分の視界にも入ってくる。周りのどの建物よりも飛び抜けて高く、ひょろりと天に伸びる巨大煙突は、じっと見つめているとなんだか3本足の不気味な巨大生物のようにも見えてきた。
「もしかしたらこいつらはある日突然動き出して、自分たち人間を襲いだすんじゃないだろうか? 」なんて、子供の頃はその姿にある種の恐怖すら感じたこともあったが、幼い頃から見慣れたこの紅白の巨大な煙突群が車窓に飛び込んでくると、「帰ってきたなあ」という感慨が込み上げててくる。
歳を取ると“ 味覚” が変わるとは言うが、子供の頃は恐怖の対象ですらあった巨大煙突に、大人になってから見ると愛着のようなものすら感じるようになるから不思議だ。確かにこれは他の都市とは違った、実に北九州らしい風景なのかもしれないと、改めて思う。

久しぶりに降り立った黒崎の駅周辺は再開発も進み、自分の幼い頃の思い出の中にある風景からは大きく様変わりしてしまっている。それを少し残念に思うのが正直な心の声ではあるが、そんな中で昔から何ら変わることの無いこの巨大な煙突の姿が、自分にとっては余計にふるさと北九州を印象付ける、一種のシンボルのようなものになっているのかもしれないと思った。

実家に戻り、かつての自分の部屋に入ってみる。2階の窓からは、その家自体が高台にあることも手伝って、遠くまでよく見渡すことが出来る。すると、さっきの煙突が見えることに気が付いた。住んでいた頃は全く意識していなかったが、こんな所からも見えていたのかと驚くと共に、それだけ自分の深層心理にすり込まれた
ふるさとの原風景の中に、あの煙突が存在していたことに気付かされた。

北九州をふるさとに持つ人間にとって、ふるさとを思い浮かべる風景とはなんだろうか。
ある人にとってそれは、若戸大橋かもしれない。
またある人にとっては、旦過市場かもしれない。
またある人にとっては、小倉祇園の太鼓の音色かもしれない。
またある人にとっては、関門海峡の潮風かもしれない。
またある人にとっては、スペースシャトルなのかもしれない。

きっとそれが自分にとっては、「煙突」なのだと思う。

あれから10年が経ち、今自分は再び北九州を離れて暮らしている。
自宅のマンションから見渡す景色の中に、煙突は見当たらない。今では学生証ではなく社員証を持ち、気が付けば北九州で過ごした時間よりも、北九州を離れて過ごした時間の方が長くなろうとしている。
それでも、ふとした瞬間に思い出す、心に残る風景が今でも息づいている場所、まだいつになるかは分からないけれど、いつか必ず帰りたいと思う大切なふるさとは、「煙突のある街」なのだと思う。

作者:安倍 昂洋さん