15年ぶりに迎えてくれた、懐かしくて新しい街【エッセイコンテスト 入賞作品】

エッセイコンテスト「第1回 キタキュースタイルカップ」 入賞作品

18歳の時、生まれ育った北九州を出た。地元を出たかったというよりは、もっと広い世界を見てみたいという、若者が抱きがちな「ここではないどこか」に対する憧れからだった。
東京で就職後も定期的に帰省していたけれど、それも年に1回程度。しばらくの間北九州は「実家がある街」、それ以上でもそれ以下でもなかった。

そんな思いが変わったのは、結婚して3年目の秋のこと。久しぶりにまとまった休みをとることができて、夫と北九州へ帰省した。実家の最寄り駅である黒崎に到着すると、駅舎の一部が新しくなっている。迎えに来てくれた母によると、駅周辺も再開発予定らしい。数年前には、駅前のビルに区役所をはじめとした公共施設や商業施設が入り、随分便利になったとか。「ボランティア活動ができる場所もあってね、昨年から国際交流のボランティアに参加してるの」。嬉しそうに教えてくれた。黒崎駅前にそんな場所ができたのも、母がそんな活動をしているのも、知らなかった。見渡すと、以前に比べて行き交う人が増えている気もする。実家を出て14年、離れていたその年数分だけ、地元も少しずつ変わっていた。

翌日、せっかく帰省したのだからと、両親と夫の4人で小倉へ出かけた。
昔よく家族で訪れた、小倉城へ向かう。城を囲む勝山公園の紅葉がちょうど見ごろで、のんびり散策した後は、行きつけの「湖月堂」で昼食をとる。その後は「シロヤベーカリー」へ寄って、幼い頃好きだった「サニーパン」と「黒ゴマフランス」を買った。短い時間だったけれど、両親や新しく家族になった夫と、懐かしい景色や味を共有できたことが嬉しかった。

数日間の帰省を終え東京での日常生活に戻ってからも、地元で過ごした日々の余韻が残っていた。楽しかった思い出を振り返りながら私はいつの間にか、北九州に対して特別な感情を持ち始めていることに気づいた。海や山に囲まれながらもほどよく都会で便利だし、食べ物も美味しく、気さくな人が多い。そう考えながら私は思いついてしまった。…今後の人生を、生まれ育った北九州に戻って過ごすのはどうだろうか?
東京でのハードワークに夫婦そろって心身ともに疲れていた頃で、こんな暮らしをこのまま続けていくべきか悩んでいた時期でもあった。関西出身の夫は最初こそ驚いたものの、思いがけない私の提案に賛同してくれた。ただ、仕事と転職活動の両立は思った以上に大変で、ようやく希望の会社から内定をもらえたのは、移住しようと決めてからちょうど1年が経った頃だった。

北九州へ越してきたのは、今年の3月中旬。新型コロナウイルスによる感染が少しずつ拡大し、世間が不安に包み込まれ始めた頃だ。私たち2人も例外ではなく、新生活への期待よりも不安のほうが大きかった。それでも、スーツケースを引きずって黒崎駅に降り立った時の気持ちは何とも言えないものだった。本当に帰ってきたんだ、そう感じた。
改札を出ると、周辺の改修工事が終わり、新しくなった黒崎駅がそこにあった。私の目をしっかりと見ながら、夫が言う。「俺たち、本当にここに住むんだね」。
「そうだね」、私は応えた。「これからずっと住むんだよね」。

とはいえ、はやる気持ちであちこち出かけられる状況ではなかった。不急不要の外出を控え、私は「いつか」の時のために家に籠って北九州情報をリサーチする日々を送っていた。そんなある日、夫が使っていた仕事用の腕時計が動かなくなり、やむなく出かけることになった。

訪れたのは黒崎の商店街にあるひっそりとした時計店。母から「時計ならここがいいよ」と教えてもらった店だった。
店に入って修理をお願いしたい旨を伝えると、
「お客さん、どこの中学だったんですか?」と店主が尋ねてきた。
「あ、僕はこっちの出身じゃなくて、3月に引っ越してきたんですよ」。そう夫が答えると、
「あぁ、そうだったんですか。」店主はにっこり笑って話し始めた。
「いやあ、私はね、黒崎中学出身なんですよ。私が中学の時の黒崎はね、今とは随分違っていてね…。」
店主は手先を器用に動かして修理を続けながら、様々な話をしてくれた。
昔の街の様子や思い出、お気に入りの店情報、そして地元出身の俳優にまつわるエピソードまで…。そのあまりの熱量に、私は自分が北九州出身だということを言い出すタイミングを逃してしまっていた。いや、むしろ忘れていた。それほど、店主の話は面白かった。
気づくと時計の修理はとっくに終わり、店主のおしゃべりは2時間にも及んでいた(!)。あっという間の時間だった。

さすがにそろそろ行かなくては、と会計を済ませて店を出ようとすると、「まぁ、色々話しましたけどもね」、店主が少し照れた表情になった。「北九州っていうのは良い所ですよ」。
「困ったときはいつでもうちに寄ってくださいよ。『おいちゃん、雨降ってるから傘借りるね』とか、『買い物した荷物置かしといてもらうね』とか、何でもいいからね」。
そして、その日一番の真面目な顔になった。
「ほんとはね、私すごく無口なんですよ。お客さんが良い人だから、つい喋りすぎちゃったの。」これには思わず、口元を覆っていたマスクを外して笑わずにはいられなかった。

店を出て、しばらく商店街を歩いてみた。この寂しい雰囲気は、コロナの影響だけではなさそうだ。時計店の店主の話から、以前はこのアーケードの広い道が、人で溢れていたんだろうなと想像する。
しかし一見寂しく見える商店街も、歩きながらよく見ると昔ながらの味わい深い店が幾つかあり、中には店主から「絶品だから、ぜひ行ってみて!」とおススメされた店がある。その一方で、最近オープンしたと思われるお洒落な店も少なくない。
ここには、この街をずっと支えてきた人たちがいる。そして新たに、この街を支えていこうとしている人たちもいる。

夫とともに新たな生活をスタートさせる、ここ北九州は、もうただの「実家がある街」ではなかった。もっと広く深く知って、関わりたい。そう思わせてくれる、私の懐かしさと好奇心を刺激する源のような街になろうとしている。

これまでは、外からその様子を眺めるだけだった。地元ではあるけれど、どこか他人事だった。でもこれからは違う。この地に根差して、暮らしていく。
落ち着いたら、行きたいところ、やりたいことが沢山ある。懐かしい景色を辿り、新しい魅力を探しに出かけなくては。

―ただいま。15年ぶりだけど、また、よろしくね。
そう心の中でつぶやいたら、こんな返事が聞こえた気がした。
―おかえり!待っとったよ。この先が、楽しみやねえ。

作者:北 みりんさん