堀川の輝ける未来【エッセイコンテスト 入選作品】

エッセイコンテスト「第1回 キタキュースタイルカップ」 入選作品

それは凄惨という言葉こそふさわしかった。

生まれ育った折尾のまちを貫く堀川という名の運河。昔は筑豊の石炭を運ぶ大動脈として幾多の舟が行きかったというが、すでに昭和40年代には汚水のるつぼ。川面は常にヘドロで埋め尽くされ、えもいわれぬ異臭が漂っていた。川沿いの道には柳の並木が続いていたけれど、到底、風情と呼べるものではない。柵もつくられてなかった川べりでは、朝から酒屋で呑んだくれて足のもつれた酔っ払いが、ヘドロの地獄へ落っこちるのを毎日のように見かけた。

そんな僕も小学生のあるとき、ヘドロの表面からブクブクと泡が盛り上がるのを眺めつつ、話に聞く別府の坊主地獄もこんな感じかと思って歩いていたら、柳の根元に足を引っかけ豪快に墜落した。柳の木を見て恨めしやとは、怪談話ではなくこのことだ。真っ黒なヘドロまみれの異形になり、号泣しながら家まで歩いた記憶も、いまだ生々しく残っている。

子どもたちの会話が「うんこ好き」なのと同じで、堀川は嫌悪でありながらギャグの対象でもあった。高校時代、校内屈指のサックスプレーヤーとして知られた友人から「文化祭に出るのでバンド名を考えてくれ」と言われた。その瞬間、なぜかふと閃いたのが「堀川ヘドラーズ」という名前だった。ふざけたウケ狙いにもかかわらず、彼はいたく気に入って、そのまま採用してくれた。そして本番当日、彼は出場唯一のジャズバンドマスターとして、

「堀川きたねえ!」
「堀川ヘドロ!」

と絶叫しながら自慢のテナーサックスを吹き鳴らしたのである。彼のきわめて前衛的なパフォーマンスは大いに話題となったが、後で生活指導の先生からこっぴどく怒られたらしい。地元を侮辱するなという趣旨だったそうだが、そのとき彼が名付け親である僕の名を出さなかったことには、つくづく申し訳なく思っている。

堀川の価値が見直されるようになったのは、僕が大学進学以降、長らく北九州を離れていた間のことだ。もちろんたびたび帰省はしていたが、その都度、堀川の水が透明度を増していくことに驚きを隠せなかった。この光景が成りゆきに任されていたはずもなく、どれだけ多くの人が力を尽くしたことだろう。振り返れば生まれてこのかた、あの凄惨な堀川の姿を一新しようなどとは思いも及ばなかった。なるようになるしかないという諦め、自分ひとりではどうしようもないという言い逃れ。そうした忌避こそあれ、罪悪感など覚えてなかったのは、これまで書いた通りだ。

浚渫工事やポンプ場の建設など、大掛かりな事業で穏やかな運河の素顔が戻ったのもさることながら、歴史的な産業遺産にする運動も花を開き、今では年に一度、多くの学生たちが参加して、まちを挙げての一斉清掃が行われている。かつて二度と近寄りたくないと思った墜落の地で、カヌーレースの大喝采が見られるなど、誰が想像したろうか。もはや堀川は、多くの魚の群れに愛される渓谷美さえそなえている。透き通ったきらめきを纏う緑の中で、鮮やかな紅をさした黒衣のバンが、ゆらゆらとたむろしているではないか。そこへ宝石の名をいただくカワセミが、弾丸のごとくみなもを切り裂くではないか。空を見上げれば、白いスーツに黒いアイマスクを決めたミサゴが、長すぎる翼をひらめかせて魚影を追っているではないか。

折尾を離れて30年あまり、東京でその激変のかけらを見ていながら、僕は故郷に対して何をするでもなかった。そこにはただただ感謝あるのみで、むしろ何をすればよいかわからずにいた。そして間近くの10年、折尾のまちにも自分の身にもまた、大きな変化が訪れた。折尾駅の改築工事、それに界隈では大規模な区画整理が動き始めた。実家の周りの山がなくなって新しい団地ができた。「上もゆくゆく下もゆく」と鉄道唱歌にうたわれた折尾駅は、みるみるうちに姿を変えて立体交差も閉じられた。その間に祖母や父が亡くなり、これはもう、後半生を折尾に尽くせという天啓なのだと、僕は勝手に思い込んだ。子どもながらに汚れたまちと蔑んでいたことへの贖罪、といえばそうかもしれない。堀川の目覚めから遅れること有余年、齢50にしての決意である。

令和改元とともに帰ってきたまち折尾。これほど長く離れていると、さすがに見ず知らずの顔も多い。懐かしさ半分、新参の緊張も半分という心地ではあるけれど、これからがまさに折尾のまちづくりの正念場。地に足をつけて関わる幸せは、不安を軽々と凌駕する。何より、このまちは学生たちであふれている。そんな若い力とともに、堀川の輝きを支え、折尾の未来を考えることの素晴らしさを噛みしめよう。流域の改修で姿を消したものの、文字通り僕の黒歴史だった、あの柳の並木さえ、今なら心から復活させたいと思える。学園があるまちから本物の学園都市へ。その青写真は折尾に住み、通い、学び、働く人々のてのひらにある。堀川の輝ける未来とは、これから新たに生まれ変わる、折尾のまちの輝ける未来でもあるのだ。

作者:安藤 進一さん

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