地元の歌は喉と目に染みる【エッセイコンテスト 入賞作品】

エッセイコンテスト「第1回 キタキュースタイルカップ」 入賞作品

街中に点々と聳える赤と白の縞模様の煙突。
学舎を遠くから見下ろす皿倉山。
関門橋の架かる豊かな海。

大学進学で東京に上京するまで、私にとってのそれらは空気と同じだった。
特に気にするものでもなく、当たり前の景色。
だから、離れてようやく気付いたのだ。
それらは決して、当たり前ではないということに。

今では、ボックス席の電車を見るだけで懐かしさが込み上げる。
そんな郷愁をさらに漂わせてくれるのが、私の中では合唱組曲「北九州」だった。

学生時代、私は合唱部だった。
当時の私は、いつの間にか部活動のスケジュールに組み込まれていたコンサートに
これといった感慨はなかったが、光栄なことに参加させてもらっていた。

演奏はなんと、九州交響楽団。
混声四部合唱は、北九州をうたう会、市内の中学校、高校の合唱部。
さらには少年少女合唱団や、小倉祇園太鼓保存振興会など多くの人々が集結する。
まさに北九州の音を詰め込んだ発表会なのだ。

組曲に含まれる曲は、全部で12曲。
『Ⅰ.序章』から始まり、海や山の自然を雄大に歌い上げ、
工場の街としての栄えや、祭りの活気を思わせる曲が続く。

ちなみに私は『Ⅴ.河童の歌―旧五市の結びを』が好きだ。
テンポの良い曲で歌うのが楽しかった、というシンプルな理由。
ただ、今改めて詩を見ると、少し違うものが見えてくる。

『Ⅴ.河童の歌―旧五市の結びを』
内容は、豊前の太郎河童と、筑前の姫河童の祝儀を祝う曲だ。
どっちが先に惚れたのか、なんて周りが茶化す歌詞もあるのだが、
それがまた小気味よくて好きだった。

小学生の頃に行った社会科見学で、河童封じ地蔵を見たし、
河童好きだったという北九州出身の作家、火野葦平がいることも知っていた。
だから歌詞にも『カッパ ヨイヨイ アシヘイサン』なんて出てくる。
当時の私は、そこまでで全て知ったつもりになっていた。

しかし今改めて見ると、旧五市の結びを、なんて副題がついている。
調べてみれば、北九州市が門司、小倉、若松、八幡、戸畑の五市を
1963年に合併して生まれたことを、今日の今日まで知らなかった。

だからこそ、この河童の歌は婚姻の歌となっているのだ。
そこに行きついた時、ビビビッと電流が走るような衝撃を受けた。

廃藩置県で福岡県となるまでは、門司、小倉は『豊前国』の元一部であり、
戸畑、八幡、若松もまた『筑前国』として治められていたのだ。
その5つの市が合併する……まさに結婚である。

当時の私にとって、5つの街はどれも北九州にある◯◯という認識だった。
そこに境なんてものは感じなかったけれど、
それこそがこの歌に込められた想いだったのではないだろうか。

だとすれば、
無邪気に楽しく歌っていた自分は、ある意味間違ってなかったのかもしれない。
調べて知った今でも、この曲を好きでいることが誇らしい。

そして組曲は、やがてクライマックスを迎える。
『Ⅹ.祖父より幼き者へ』は、クライマックスの始まりの曲だ。
その歌詞は、街を拓いた祖父母たちが子孫へ、
今の街を支える父母たちが先祖と子供へ、
未来を受け継ぐ子たちが上の世代へと呼びかける。

男声から女声へ、とバトンを渡すように歌われていくそのパートは、
まるで本当に過去、未来、現在と時間を越えて呼びかけられているような心地になる。
そして四方八方に散っていた声は、それぞれの呼びかけが終わると、
最後には1つのユニゾンとなって下の歌詞を紡ぐ。

『ふるさとよ
 永久に奢らず 病むことなかれ
 わが街よ
 永久に 新たに 明日に 拓がれ』

拓がれ、
その言葉と共に『Ⅺ.梅開く』は始まる。

梅は春の訪れを告げる花とされる。
人間の一生を春夏秋冬に例える、という話もあるが、
やはり春というのは、最もエネルギーに満ち溢れた季節だろう。

盛者必衰、なんて言葉もあるが、
この歌には『街よ 永久に若やげ』と背中を押される。
そして『人よ 恒に幸あれ』と続くのだ。

ふるさとの愛と、そこに住む人々への願いを込めた
そんなエネルギーがこの歌にはある。

そして、今まで11曲で最大限にまで膨らんだエネルギーは『Ⅻ.終章』へと続くのだ。

実はこの曲、序章と歌詞は全く同じである。
だが、ここまで歌ってきた、奏でてきた、奏者たちの熱量が違う。
もちろん音程や、細かい楽譜の指示諸々は違うのだが、
そんなものを超越した熱量が、2時間を越える組曲の最後には待っているのだ。

ランナーズ・ハイというやつなのかもしれない。
舞台用ライトと数多の観客の視線による照射による緊張、
体全体に響く楽器の音たちと、いつもの何倍も人がいる合唱団。
それも、この曲を歌う頃にはすっかり消えて、清々しささえ感じていた。

私たちはこの街で生きている。

あの頃はそれが当たり前だったけれど、
周りからの熱に、自然と胸の内まで焦がされるような想いを抱えていた。
それが今は郷愁となって、組曲北九州はどうしようもなく胸に響く。

『北九州 北九州 ふるさとや良し』

序章、終章と何度も繰り返されるそのフレーズは、
十代の頃に歌ったせいなのか、それとも今は離れてしまったゆえの地元愛なのか、
どうしようもなく喉に染みついて、剥がれる気配はない。

交通は発達したものの、東京から北九州まで飛行機で約1時間半。
乗り物に弱い私には、少々辛い距離だ。
それでも、喉に身体に、ふるさとの歌は染みついている。
郷愁に暮れ、日に日に脆くなる涙腺のおかげで目に染みることもあるけれど、
私は少し離れた今でも、ずっと北九州を愛している。

作者:柳田 知雪さん
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