北九州の自然と、歴史と、バランスの良さについて~小倉を見つめ続ける足立山~【エッセイコンテスト 入選作品】

エッセイコンテスト「第1回 キタキュースタイルカップ」 入選作品

「北九州の良いところとは何ですか?」と聞くと、たいてい「飯が旨い」「自然が近い」という答えが返ってきます。東京から来た人なんかと北九州の魚を食べに行くと、味もさることながら値段とのバランスに驚かれます。「この魚がこの値段で!」だそうです。地元の人からすると当たり前なんですよね。

以前、ある雑誌の企画で「住みたい田舎」ランキングで1位になりました。北九州に住んでいる人からすれば「北九州が田舎」と言われると違和感を持つでしょうが、要は「バランスの良さ」だと思うのです。都市と自然、食にかかる費用と提供される料理の質などのバランスが良いのが北九州です。昔は空気や川も汚かったのですが今は全くそれを感じさせませんし、川が綺麗になっていく過程で治水も行われ洪水にも比較的強い地域になっています。住んでいる人は実感しづらいことも多いのですが、住みやすい街だと言えると思うのです。

しかし、コロナウィルス感染症が世界中に影響を及ぼす今、様々な業界が大きな打撃を受けています。課題先進都市と言われ、人口減、高齢化、環境問題と、様々な課題に取り組んできた北九州市ですが、解決の糸口は簡単には見いだせません。私たちはこれからどうしていくべきなのか、未来は霧に包まれています。

観光業などは特に簡単な状況ではありません。外国や遠方からの旅行客も大幅に減っており、回復するには時間がかかるでしょう。私たちも外国や遠方に旅行することに関しては抵抗があるのではないでしょうか。

とは言え、身近な場所への移動が制限されているわけではありませんし、密にならない場所であれば健康のための運動なども奨励されています。むしろ今の状況を地元への知識を増やすチャンスと捉え、美味しいお店、意外な名所などへ、密を避けながら出かけてみてはいかがでしょうか。

あまり知られていないのですが北九州地域には小倉城を始め深い歴史があります。調べてみると北九州を中心とした北部九州は歴史の宝庫であることがわかります。例えば、奈良にある東大寺の大仏に使われている銅には、小倉南区の徳力で採れたものも多く使われています。ご存知でしたか?学校では聞けない歴史ではありますが、私たちが住む地元の話が国宝につながっているとしたら嬉しい話ですよね。地域の市民センターや図書館に行けば、そんな書籍もたくさん置いてあります。

平安時代後期の源平合戦最後の戦いの舞台は関門海峡ですし、その際拠点として作られた山城が門司には多く残っています。江戸時代の初め宮本武蔵と佐々木小次郎が戦った巌流島が北九州にあることも有名です。さらに地域や神社に残る伝承に目を向けると、1500年以前のものも多くあります。真偽の程は別として、それだけの歴史がこの街にあったことは事実です。

歴史や由緒の深い場所として、「足立山」について詳しくご紹介しましょう。小倉北区と南区にまたがる、小倉に住む人なら必ず見たことがある山です。別名「霧ヶ岳」とも呼ばれていて、深い霧に覆われているところを見る人も多いでしょう。霧が岳の麓にあるのが霧ケ丘で、地名や中学校もあります。私も足立山に登りましたが、小倉の街が一望できる素晴らしい眺めでした。

では、足立山の歴史を紐解いていきましょう。江戸時代中~後期、小倉藩主である小笠原家では毎年正月に若殿様がお参りに登ったという話が、足立山の麓にある神社のひとつ「足立山妙見宮」さんの文章に残っています。江戸時代の初めに、小倉へ入城した細川忠興は実は眼病を患っており、言ってみれば独眼竜政宗のような状況だったとか。そこで足立山で治療を行ったところ、見事に治ったという話も残っています。足立山妙見宮さんはもともと今とは少し離れた場所にあったそうなのですが、細川氏により今の場所に移されたとのこと。足立山からは小倉城を中心とした景色が広がっており、これなら小倉城への人の往来が一望できるなと思ったところです。万が一攻められたとしてもすぐ敵の動きも把握できる重要な戦略拠点でもあっただろうと思います。足立山は小倉の守り神だったんですね。

さらに歴史を遡っていくと、「足立山」という名前の由来について興味深い話があります。奈良時代、称徳天皇の寵愛を受けた道鏡という僧についての神託を確かめるため、大分県の宇佐神宮に「和気清麻呂」公が派遣されました。清麻呂公はその神託が虚偽であること突き止めたのですが、にせのお告げを奏上したとして道鏡により流罪となりました。その際、追っ手に足を傷つけられます。その後、宇佐神宮のお告げに従って、温泉(小倉南区の湯川と言われています)に入り傷が治り、足が立ち、この山に登ったのです。そうしてこの山を「足立山」と呼ぶようになったそうです。和気清麻呂公は、この山に鎮座する足立山妙見宮や葛原八幡神社に御祭神として祀られています。この和気清麻呂公は平安京作りにも大きく関わった人であり、日本史の中心人物のひとりです。

足立山だけでなく、北九州には古くからの伝承が多くあります。北九州は歴史の浅い街だと言われていますがとんでもありません。どの地域にも負けない歴史を持っています。また、都市で生活しながらこれだけ多くの自然の近くにいること、それは私たちが思っているよりも特別なことなのかもしれません。今回紹介した足立山には、傷を治すような歴史も多く残されています。それが自然の役割のようにも思います。

ちょっと疲れたときに、ふと山や川に目を向けるだけでも心のバランスがとれるような気がします。心のバランスが取れると優しい気持ちになることができます。この心の「バランスの良さ」も、北九州の大きな魅力のひとつだと、私は思っています。

作者:中川 康文さん

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