いのちの市場【エッセイコンテスト 入選作品】

エッセイコンテスト「第1回 キタキュースタイルカップ」 入選作品

中央市場。
九州の玄関口・J R門司港駅から、歩いて10分ほど。老松公園のすぐ横にある、昔ながらのアーケード商店街だ。戦後のヤミ市が起源ともいわれ、60年以上の歴史をもつ。
子どものころ、夕飯の買い物をする母に連れられて、わたしはこの市場を毎日のように訪れた。
1990年代の初めのことだ。きっと市場がいちばんにぎやかだった時代は、もう終わっていただろう。同級生の家も、日々の買い物はスーパーマーケットが中心のようだった。子ども連れで市場に出かけるうちの母は、少数派だったかもしれない。
でもわたしは、母にくっついて市場の狭い通路を歩き回ったあの日々を、今でも本当に大切に思っている。
いちばん足繁く通ったのは小学校に上がる前のことなので、記憶のすべてが正確なわけではないと思うけれど、少しだけわたしと市場の話をしたい。

幼いわたしにとって中央市場は、とにかく色々な物や音、においがごちゃまぜになった、にぎやかな場所だった。
入り口をくぐると耳に飛び込んでくる喧騒。「いらっしゃい、いらっしゃい」という昔ながらの呼び声、どこかのラジオから流れる演歌、おばちゃんたちのおしゃべり。たいていの店は、ちょうどわたしの目の高さくらいに台があって、そこに品物がところ狭しと並んでいた。関門海峡でとれた魚に貝、磯の香が漂うわかめ。黄色く熟してぷーんと甘い香りを放つ台湾バナナ。真っ赤なキムチ、豚の耳、辛そうなタレに漬け込まれたホルモン。お好み焼きの香ばしいにおい、漬け物の酸っぱいにおい。混じり合う音もにおいも雰囲気も、決して上品で洗練されてはいないのだが、どこかほっとするあたたかさと、エネルギーがあった。
今ふり返ると、門司の港が栄えた時代のなごりや、新鮮な食べ物がもつ生命力のようなものが、あの活気をつくり出していたのだろうか……と、こうして大人の言葉にすると、やっぱりなんだか陳腐になってしまう。でもとにかく、子ども心に中央市場には、町や人や食べ物のいのちが凝縮されたような何かがあった。

母によると、わたしは言葉を覚える前から、目を見開いて市場の風景を眺め、気になるものを見つけると「あー!」「なにー?」と大声を上げていたらしい。きっと小さな子どもの姿は珍しかったのだろう、お店の人たちはわたしをとても可愛がってくれた。引っ込み思案のわたしは、ご近所や幼稚園ではそんなに友だちが多いほうでもない子ども時代を過ごしていたけれど、中央市場は居心地のいい場所だった。
そして何より、市場で買う食べ物はおいしかった。関門海峡の流れにもまれた魚は、身が締まってプリプリして、ギュッと旨味が詰まっている。正直、大人になってどんなに評判の海鮮居酒屋に行っても、市場の魚屋で四百円くらいだったお刺身よりおいしいと思ったことがない。
着物姿のきれいなお姉さんが量り売りしてくれる昆布屋のふりかけも、愛想のいいおばちゃん特製の漬け物屋のキムチも、どこを探しても同じ味に出合えない。福岡名物の辛子明太子だって、わたしはきれいに箱詰めされて土産物屋に並んでいるものより、市場の店先で山盛りにされていた切れはしのほうが好きだ。

年末の市場は、ひときわにぎやかになった。
真っ赤な金時にんじん。お雑煮にいれるカツオ菜。鏡餅にのせる葉ミカン。市場を出たところには、正月飾りの屋台も並ぶ。
いつもは見かけない、ちょっと高級なお正月の食材を買い込むのも、
「今年もありがとう、来年もよろしくね。良いお年を」
「はい、良いお年を」
母とお店の人が交わす年の瀬のあいさつを聞くのも、なんだか好きだった。年末の買い物には小中学生になってからも、大学に入って北九州を離れてからも、荷物持ちとしてよく一緒に行った。
「あら久しぶり、すっかりお姉さんになったねえ」
お店の人は毎年、こう言ってニコニコしながらわたしを迎えてくれた。そのうちに、
「もう、来年までこの店があるかわからんよ」
などと言い始める人も出てきて、少し寂しくなったけど、
「きれいになったねえ。こっちは歳をとるばっかりよ」
そう言って笑う昆布屋のお姉さんは昔と少しも変わらず美人で、わたしは、やっぱり市場には不思議な力があるに違いない、と思うのだった。

それからまた何年かたって、社会人になったわたしはお正月に帰れないくらい忙しい時期も続き、市場はすっかり変わった。
「漬け物屋さんが店じまいしたんよ」「魚屋さんも次の春で閉めるってよ」。母から電話で聞くのはこんな知らせばかり。「昆布屋のお姉さんが病気で亡くなって、お店も閉まっとる」と聞いた時は、ふりかけの味とお姉さんの笑顔を思い出して泣いた。
「来年まであるかわからんよ」と言っていた古いお店は、本当に少しずつ姿を消してゆき、暗い通路を歩くのが少し怖いくらい、市場が寂しい雰囲気に包まれていた時期もあった。最近は、帰省するたびに若い人たちが経営するカフェや雑貨屋さんが増えていて、また新しい時代を迎えた気がする。
今もまだ続いているお店も、少しだけある。そして年末に母と買い物に行くと、30歳をとっくに過ぎた私を「あら久しぶり、お姉さんになったねえ」と迎えてくれるのだ。

こうして市場のことを思い出していたら、不思議と体のなかからじんわり力が湧いてきた。
まるで市場に育ててもらったかのようなあの日々が、今もわたしという人間の力といのちになっているのだろうな、と思う。
魚屋のおじちゃん、漬け物屋のおばちゃん、昆布屋のお姉さん、ありがとう。
もうあのころのお店はなくても、中央市場のおかげで、今日もわたしは元気です。

作者:Yoshiさん