子供の頃の友達「城野ダイエー」【エッセイコンテスト 入選作品】

エッセイコンテスト「第1回 キタキュースタイルカップ」 入選作品

私は現在、横浜市に住んでいるが、子供の時は北九州市小倉南区の城野で育った。城野にはかつて総合スーパーの「ダイエー城野店」(イオン城野店)があった。残念ながら閉店してしまったが、私は子供時代、このダイエー城野店と一緒に歩んで行ったのである。

私が小学生1年生の時の1981年、ダイエー城野店は開店した。それ以前は近所に小さな商店街や高くても2階建てのスーパーしかなく、子供ながらスーパーと言えば「食料品や生活必需品を購入する小規模な場所」と言うイメージしかなかった。

しかし、家から歩いて5分程度のところにダイエー城野店が出来た事により、私の中のスーパーのイメージが大きく変わる事になる。ダイエー城野店は6階建てで敷地面積も広く、両親に連れられ、ほぼ毎日の買い物を行うのはもちろん、それ以外にも当時の私には非常に珍しい光景だらけで、まるで宝箱の中に入った感覚になった記憶がある。

色々なお店の、色々な種類の料理を食べる事が出来るフードコートにはほぼ毎日祖母がいて、何気ない会話をして良くお小遣いやおやつをもらっていた。お年玉のような金額の大きなお小遣いを貰った時は「何を買おうか?」と勉強以上に頭を悩ませ、3階のおもちゃ売り場にダッシュしていたのも懐かしい思い出である。ファミコンが発売された時はおもちゃ売り場にファミコンを自由に遊ぶ事ができるブースがあり、友達や学校が異なるが同年代の子供達と良くおしゃべりをしながらゲームに夢中になっていた。

夏休みには色々なイベントが行われていた。カブトムシの幼虫がプレゼントで配られる事があり、家に持って帰っては親を良く困らせていた(親は虫が嫌い)。今まで一度も見た事が無かったヒーローショーも行われたが、買い物客が通る事が出来る普通の通路で、ヒーロー役の人がお面を取って休んでいた所に遭遇してしまい、子供ながら「ヒーローとは何なのか?」と小一時間悩んだあげく、「見なかった事にしよう」と決意した事もある。

中学、高校生になってもダイエー城野店に遊びに行く頻度は変わらず、特に高校時代は4階のゲームセンターに良く遊びに行っていた。当時は格闘ゲームがブームとなっていて、友達と熱いバトルや裏技等の情報交換をして楽しんでいた。また、クレーンゲームも同様にブームになっていて、女の子に良い恰好を見せる為に、少ない金額で効率よく景品を取るにはどうすれば良いか悪戦苦闘していた。

このように、私にとってダイエー城野店は、単なる「買い物をする場」ではなく、かけがえのない遊び場・友達や大人との交流の場であり、さらに当時の子供にとって非常に大切な「トレンド」を抑える為の場であった。大げさかもしれないが、例えるならば、ダイエー城野店は「一緒に育った友達のひとり」と言えるであろう。

高校卒業後、諸事情により上京した為、この友達と分かれてしまったのだが、帰省した時は必ずダイエー城野店に遊びに行っていた。子供の時と比べ専門店が多少入れ替わっていたが、友達は昔と変わらずそこにいてくれて、幼い時の記憶を良く思い出させてくれた。

それから何年も時が過ぎ、北九州に帰省する機会が少なくなった。数年前、ふと昔の事が懐かしく思い、気になってダイエー城野店がどうなったのかを調べた事がある。びっくりしたのはイオンに経営譲渡された事だった。さらにびっくりしたのは、2017年に閉店した事である。きちんとしたお別れをする事なく、友達はいなくなってしまったのだ。

しかしながら2019年、北九州に帰省する用事があり、ダイエー城野店(注:私にとってはイオンではなくダイエーなのである)がどうなったのかをこの目で確かめる事が出来た。閉店はしたものの、店舗の活用方法はまだ決まっていないようで、建物はそのままの状態であった。中には当然入る事は出来なかったが、子供時代の記憶と共に感謝を述べ、ちゃんと友達とお別れをする事が出来た。

私は今、横浜市に住んでいるが、実は自宅近くにも、ダイエーと同じような総合スーパーがある。私の人生にはやはり総合スーパーがかかせないのであろう。私はこれからも、「友達」と一緒に人生を共に歩んで行きたいと思う。

作者:甲斐 智也さん

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