皿倉山に愛をこめて【エッセイコンテスト 入選作品】

エッセイコンテスト「第1回 キタキュースタイルカップ」 入選作品

子供の頃、玄関を出ると目の前を西鉄の赤茶色のチンチン電車が通り、ちょっと先には購買会があつた。そして見上げれば何時も皿倉山が鎮座していた。

昔はクーラーのある家など少なかったから、私の家も窓を開けて、蚊帳を吊っていた。窓からは皿倉山が綺麗に見えた。私は夜の皿倉山を眺めるのが本当に好きな子供だった。闇に包まれた皿倉山は、その姿も稜線も闇に溶けて、ケーブルカーの照明と、それに続く山頂の灯りだけが遥か天に浮かび上がっていた。山頂へ続くケーブルカーの緩やかに伸びた光が、天へと続く道のようで、その先の山頂の灯りが何か別の世界のように思えた。昔の子供は今の子供と違ってする事もあまりなく、大抵いつも暇だったから、私は妄想と言う独り遊びによく耽っていた。時には山頂が銀河鉄道の停車する駅になったり、時には天女が、天へと向かう道筋だったり、シンデレラ物語を読んだ日は、山頂の王子様の住まうお城へ向かう階段になったり、色々想像しては暇を潰して楽しんだ。

夏休みには家族でよく皿倉山に登った。涼しくなりかけた夕暮れの少し前、虫籠を持ってケーブルカーに乗る。リフトに乗り換える手前の平地で、父は私達の為に、検討を付けた木を思い切り揺すってくれる。すると色んな虫がポタポタ落ちて来る。川遊びで言うところのガサガサ遊びの山バージョンのガサガサ遊び。時々カブトムシやクワガタが落ちてくる。私達はそれを喜んで虫籠に収める。そしてリフトに乗り、山頂に行く。

子供にとっての山頂のテレビ塔は、サンダーバードの秘密基地みたいで、ワクワクしたものだ。八幡は工場地帯で煙突はたくさんあったけれど、丸いアンテナとか、金属の電波塔なんか身近にないから、子供の想像をかき立てた。当時の無機質なコンクリートの展望台も何処か基地っぽくて、今にも山肌が割れて、ミッションを背負った隊員たちを乗せたサンダーバード号が、ゆっくり出てくるような気がした。そして暮れ始め、ちらほら点灯ゆく、私達の町北九州を眺めて、あれが叔父さんの家あたりで、あの辺が我が家あたりだと、指差して楽しむ。玄海灘、周防灘、響灘に接して広がる市街地、新日本三大夜景と言われる皿倉山からの夜景は、キラキラ輝いて本当に綺麗だった。

それでも少し大きくなると、私にとっての皿倉山は、日々の景色の一部になり、毎日見てるのに忘れ去った。登る事もなくなった。出かける時は何時も目の前にあったはずなのに、あんなに大好きだった皿倉山が見えなくなった。私の中から皿倉山は完全に消えていた。

大人になり、転勤で北九州を離れる事になった。北九州から東京へ。でもすぐにホームシックになった。東京の街を何気なく歩いている時、通る車のナンバープレートばかり見る癖が付いた。九州山口のナンバーを見付けた日は1日嬉しい。重度のホームシック。スーパーで売られてる魚も北九州とは少し違う。「角打ち」が全国共通だと思っていたら、東京では通じず驚いたりもした。しかもその「角打ち」北九州が発祥の地だと言われているらしい。離れて初めてわかる故郷への思い。私にとって東京は北九州とまったく違う街だった。北九州が何時も恋しかった。何と言われようが、あの人懐っこい、少しせっかちな気取らない北九州の人達が大好きだった。

程なく北九州に戻って来た。まず皿倉山が見えた。忘れていた皿倉山が泣けるほど懐かしかった。子供の頃、あんなに好きだった皿倉山が、優しく待っていてくれた。昔と変わらずそこにいて、ずっとこの町を見守ってくれているのだと、気付き胸が熱くなった。その後、東京でお世話になった人達へのお礼状は、迷わず皿倉山から撮ったあの美しい夜景のポストカードにした。私の生まれ育った町ですと書き添えて。

八幡の人達は、皿倉山に雪が積もったら「今日は皿倉も白くなっとったねぇ」と挨拶し合う。たぶん多くの人達が、私のように皿倉山を見上げて日々を生きている。

今でも旅行に行って、帰りの道すがら皿倉山が見えてくると、ああ帰ってきたんだなぁとほっとする。そう言えば、しばらく皿倉山に登ってないけれど、今度夜景を見に行こう。あの時、木を揺すってくれた父はもういないけれど、きっと皿倉山は昔と変わらず美しい夜景を私に見せてくれるだろう。

残念ながら今住んでいる家のリビングの窓からは、お月様は見えるけど、皿倉山は直接見えない。でも今年の中秋の名月には、すすきを飾り、日本酒をお供えして、皿倉山に感謝しよう。そしてもう少しの間、見守っていて下さいとお願いしながら、盃を傾けよう。八幡西区で生まれて、八幡東区に嫁いだ私の守り神の皿倉山。銘柄は決まっている。八幡の銘酒、溝上酒造天心の「皿倉」だ。大人になった私には、子供の頃のような物語はもう紡げないけれど、見えなくても必ずそこにいてくれる皿倉山が程よく酔わせてくれそうだ。冬には時々白くなり、春と秋にも少しだけ色を変えるけれど、いつも変わらず、同じ場所で静かに佇む、守り神の皿倉山に、感謝と愛をこめて。

作者:林田 良子さん