いつもの北九州【エッセイコンテスト 入選作品】

エッセイコンテスト「第1回 キタキュースタイルカップ」 入選作品

この橋を渡ると思う。
このトンネルを抜けると思う。
あぁ~北九州に帰って来た(笑)。
なんて事は無いのだが、つい「ただいま」って言いそうになる。

自分は、出張族。
主に製鉄所の中での設備据付工事に携わっている。
年間を通して、北九州には1カ月も居ないのだ。
出張先ではよく「どこから来られました?」と聞かれ
「北九州です」と答えると、必ず「やっぱり!(笑)」となる。
「やっぱりって何?(笑)」
そこから、会話が始まるのだ。
北九州訛りだろう・・・たぶん。

でも、たまに地元に戻り友と話すと、あちこちの訛りが混ざっているらしい。
本人は、わからないのだが・・・北九州言葉に戻る前に
また、出張先に帰る?のだから尚更わからない。

自分は、北九州育ちのエリートのはずなんだが?

生まれは、八幡区の前田ですぐに折尾に移り住んだらしい。
その頃、親父は建設省に努めていたようで官舎?社宅暮らしだったようだ。

折尾時代に何度か、死にかけてるとお袋はよく言ってた。
飴玉を喉に詰まらせて、息ができず親父がおぶって走って病院に行く途中
振動で飴玉が下がって病院では、ケロッとしてたとか・・・
汲み取り便所に落ち込んで、親父が飛び込んで沈んでたのを助けてくれたとか・・・
本人、まったく記憶が無いのだが、ことあるごとにお袋が話すのが嫌だったけど。
大人になり、話のネタになる時はラッキーと思ったりする。

それから、八幡区の枝光に移り堂山保育園・小鳩幼稚園・枝光小学校・枝光北中学校と
町内エリートコース(笑)
当時の枝光は、スモッグの町
朝、家を出る時にまず若戸大橋を見る!
「今日は、赤いバイ!傘いらんね!晴れるバイ」
いつも確実な天気予報が、そこにはあった!
北九州以外は興味が無かったが、そこは年頃になると親元を離れてみたくなるもので
高校・短大は、福岡の香椎までは、枝光から電車通学で過ごした。
毎日が、遠足のようで楽しく当然のように自宅(北九州)に帰る事で
ちょっと遠出しただけの感覚であった。

就職は、福岡の家具屋。
当時の福岡天神は大都会に感じたなぁ~。
若い頃は、北九州より福岡に魅了されたりして(笑)
3年ほど住んだがいろいろあって、北九州に戻り仕事を変わった。
北九州の八幡西区の熊西に居を構え25年。
行きつけの焼き鳥屋で、知り合った女性を奥様に(笑)
何度か顔を合わせ隣に座って、男女問わず仲良くなれるのも北九州人なのかも?
黒崎祇園にも少しお世話になったので、5月から7月はそわそわ!
元々、地元では無かったのに「見てるより参加せな!」と誘われミイラ取りがミイラに・・・
お陰で、町内には叔父・兄貴・弟と言う新しい祭友が沢山できて
昔からここが地元で住んでいるかのよう
北九州人の魅力の極みだと、いつも思う。

しかし、出張が長期になり増えて来た10年くらい前から、
ちょっと北九州が遠くになり始めた。
月一で、1~2日の帰省は認めてもらえてはいるが、仕事や現場の流れで帰れない事の都度都度。

それまで住んで当然の北九州だったので、特に意識もせずいた北九州。
されど、年間を通して1カ月も住んでいないから逆に意識するようになって来た。

最近気が付いた事。
自分も50代後半ともなると、外からみる北九州
離れて戻って気付く北九州がある。
出張先のTVや雑誌で北九州を見つけると、つい自慢したくなる。
「ここ知っとうや?」「行った事あるっちゃんね~」
で、帰りたかぁ~と思うのである。

いつもの北九州なのだが、
他県の人からすると、喧嘩腰に聞こえる北九州人の会話。
北九州の熱い夏祭り!
帰ると絶対食べる資さんうどんに、東筑軒のかしわめし。
起業祭!昔は、起業祭の頃にお袋がジャンバーを出してくれた(笑)
特徴が無いようで、すごくクセのある北九州。

昔の賑わいや活気は無いかも知れないけど、
空気も綺麗になり若戸大橋は赤く見え
洞海湾には魚が泳ぎ
皿倉山は、みどりが輝き
人は、熱く!

そこそこ、都会で
そこそこ、田舎で

この橋を渡ると思う。
このトンネルを抜けると思う。

あぁ~北九州に帰って来た(笑)。
なんて事は無いのだが、友に会えば「帰ってきたちゃ」って言ってしまう。

そんないつもの北九州だからこそ帰ってくるのだろう!

作者:しばっちさん