北九州に住むということ【エッセイコンテスト 入選作品】

エッセイコンテスト「第1回 キタキュースタイルカップ」 入選作品

30年前、同級生の誰よりも早く、故郷の駅から胸を高鳴らせて北九州の大学へと旅立った日のことを今でも忘れない。夜空の星が嘘のようにきれいなあの田舎町に未練はなかった。ただ都会に出たかった。引っ込み思案な自分に決別して、友だちをたくさん作るんだ。待ってろ北九州!そんな勇んだ気持ちで特急列車に乗り込んだものだ。あの日から今日まで、私はずっと北九州が好きだ。

北九州は、全国でも有数の暮らしやすい街である。まず医療機関が充実し、病床数は全国でもトップクラス。電車やバスはもちろん、空港や新幹線、フェリーまでがコンパクトにまとまり交通網が断然いい。そして平尾台や皿倉山から見える夜景のように、自然や美しい景観に恵まれ、歴史的背景も多く実に面白い街なのだ。しかし長く住む街、街になじんでいく過程。それを満たしてくれるのは街の景観の良し悪しや、利便性の良さより、そこに集う人たちがどんな人たちなのかの方がはるかに大きい、と私は思う。

まず北九州人は懐が深い。これは一貫して私にとってこの街が魅力的であり続ける一番の理由だ。歴史ある港町で、九州の玄関口でもあった北九州は人の出入りが激しく、その結果、新参者に親切で、その人がどこから来ようが受け入れる文化があると私は思う。事実、右も左も分からずに田舎から出てきた私に北九州の人たちはとても親切だった。それでいて決してお節介ではなく、必要以上に踏み込んでくることがない。他者と適度な距離を保ちながら付き合う。このバランス感覚の良さは他の都市に例を見ないものだと思う。

次に北九州人は流されない。最近、日本中に同じようなものが増えてきた。同じような場所で、同じような食べ物、同じような装い。何が面白いのかをどう決めるのか。口コミ?レビュー?いいねの数?そんな世迷言は北九州人には通用しない。面白い街には、必ずオリジナルを持つ面白い人が多くいる。そんな面白い人たちは、人と同じことで得る満足感など必要としない。その顕著な例が、リノベーションでの街作りの成功という形に表れているのではないだろうか。新しい物のスクラップアンドビルドが繰り返される日本にあって、北九州は古い建物をカフェやゲストハウスに再利用することで経済を活性化し、雇用を増やすことを先んじて行ってきた。これこそがまさに北九州スタイルだと思う。

そして最後に、北九州人は正統派である。由緒正しい小笠原藩の城下町である北九州市は、その地域的な背景からかいい意味で保守的で嘘がない。本物を見極め、選び、暮らす姿が連綿と受け継がれているのだ。いつの頃からか夏になると響いてくる祇園太鼓が奏でる音を聞くと、また夏が来たのかという安心感を覚えるようになった。あの祇園太鼓の歴史ある抒情的な太鼓の音が私は大好きだ。北九州出身の松本清張や、芥川賞を受賞した平野啓一郎などの作家の作品の中に登場する多くの人物像に垣間見える人間臭さや、一本筋の通った市井での暮らしぶりにもどこか北九州の人々を思い起させられる。

人には住む場所が必要だ。それはこの先どんなに技術が発展して、世の中が便利になっても変わることのない当然のことだ。だが人は当然だからこそ見失う。止まることなく進んで行く日常という時間の中で、その本質を。北九州に住むということ。この街の人たちが持つこのような多様性が、実は暮らしやすさにつながっていることを私たちは知っておくべきだ。

特急列車に乗った18歳の少女だった私は、あれから30年間、北九州でたくさんの友人に恵まれ、家族を持つことができた。北九州人であることを誇りに思い、これまでもこれからも私はこの街で力強く生きていきたい。

作者:三浦 理香さん