私の大好きな高校【エッセイコンテスト 入選作品】

私には、一つ大きな自慢がある。それは、高校の時に出会った友人たちそれに先生方は、私にとってとても大切だと胸を張って言えることだ。

私は、中学校の頃に見つかった病気があり、高校に入る前に2回手術をしている。そのため、集中治療室で高校の合否を知るという経験があるのだが、高校に入ってすぐの頃、とてもいい出会いがあった。それは、同じ病気を持った友人Aとの出会いだ。Aは当時の担任の紹介で入学してから初めて会ったのだが、とてつもなく私の支えになってくれた彼女は、底抜けに明るく、私とは違い、まだ手術していなかったこともあったため、彼女は、私に手術のことを聞いたし、私は、彼女に愚痴なんかを話していた。本当にAはお互いの病気で悩みがあれば、相談できる戦友のような存在だ。Aを紹介してくれた当時の担任には本当に感謝しかない。ありがとう先生。

さて。ほかにも紹介したい友人は、たくさんいるのだが、友人自慢で終わってしまいそうなため、私の高校についても話していきたいと思う。

私の通っていた高校は、山の中にあるのだが、本当に景色がいい。天気が良ければ、遠くの橋まで見えるほどだ。それに春になると桜のトンネルができるし、夏は蛍が見える。そして、校舎はとても綺麗で、学校自体の歴史はあるほうだ。なので、ボランティアで行った先などで高校の話題になった時などよく出身が同じだとおっしゃる年上の方は多く、話も盛り上がるのでとても助かる。そして、一番の魅力は、何と言っても生徒、教師の距離が近いことだろう。さきほども述べたが、Aに会うことができたのは、当時の担任のおかげだし、困ったことなどがあった時に、すぐに相談しやすいのが私の高校の特色だろう。担任は、2年に上がるころに転勤されたため、最後までとはいかなかったが、その後、2年、3年の担任だった先生もとても相談等しやすい先生だった。

さて。そんな先生方について話すうえで、絶対に外すことができない話がある。

それは、高校2年の夏に入る少し前、校内の掲示物で見かけたとある作文の応募ポスターがあった。その応募は、自分の医療体験を述べるというものだった。そのころ、何か一つには、高校時代に作品を応募したいと考えていたこともあり、応募方法など聞くため、当時副担任だった、国語教師のM先生に相談を持ち掛けた。そこで、M先生に言われたのは、校内での応募をしていないことと、作文の添削をしてくださるということだった。私は、M先生に添削をお願いすることにし、そこから、夏休み直前くらいまで、M先生に添削をお願いし、出来上がったものを提出したところその年の最優秀賞をいただいた。そのため、最優秀賞をいただいたことは、その次の日にすぐ先生に伝えた。とても喜んでいただいたのがすごくうれしかったのだが、ここで一つ問題が起きた。この作文コンクールの表彰式が修学旅行の日付と丸被りしたのだ。

表彰式に出れば修学旅行には、出れない。正直、スキーをしてみたかったし、表彰式を辞退しても、修学旅行に行ってやろうか。それくらいの気持ちでいたのだが、先生たちは、私を表彰式が終わった後でも修学旅行に来れるように手配してくださった。

ちなみに後から聞いた事なのだが、M先生が、私の作品を読んで泣かれたそうで、M先生を泣かせるなんて相当だと別の先生に言われたことがある。正直なところ最優秀賞なんて取れるとは、思っていなかっただけにとても嬉しかったし、表彰式、修学旅行と参加することができるなんて考えてもいなかった。これも先生方のおかげだと思う。本当に高校生活は、このようにたくさんの先生方に協力していただいたと思う。

それからは、いろいろと行事や、イベントをこなし、残るは卒業という大きなイベントだけだった時。世間を騒がせるあいつがやってきた。そう。新型コロナウイルスだ。段々と騒がれ始めた未知のウイルスと、他校の卒業式の中止。もしかして、私たちも卒業式はできないのではないか。卒業式の一週間前もそんな話が出ていた。

結果として、卒業式は、無事に行われた。短縮されてはいたが、高校生活の最後をしっかりと行うことができた。本当にうれしかった。

先生方は、本当に生徒のことを考えてくれるし、Aや病気について理解してくれる友人や先輩、先生に会えたこの高校が私は、大好きだ。そんな先生たちや友人たちと撮った卒業写真に、アルバム裏の書き込みは、私にとって、一生の宝物だ。

最後に私は、今病院でこれを書いている。持病が悪化したためまた手術をするのだが、それを知った高校の友人たちがこのご時世だから、お見舞いに行けなくてごめん。や、手術に対して、応援してくれている。みんながみんな北九州にいるわけじゃないけど、こんな素敵な友人に出会うことができた高校がある北九州が私は、大好きだし、ここに住んでいてよかったと思う。