まっとって【エッセイコンテスト 奨励賞受賞作品】

エッセイコンテスト「第1回 キタキュースタイルカップ」 奨励賞受賞作品

ぜんざいといえば、「御菓子司 湖月堂」の白玉ぜんざいである。

わたしたちは、すこしだけ特別なときにそのぜんざいを食べた。ふかふかの白玉の、いつまでもふくんでいたくなるしあわせな弾力と、つるんとなめらかなのどごし、粒ぞろいのみごとなあんこにさくさくとほどけるような寒天。どこにもあるようで、ここにしかない大好きな一皿だ。

JR小倉駅を背に、シロヤの前を通り、揚子江の売店をかわし、クラウンと吉野家の角で右手に曲がるとパチンコ屋さんがあって、ほどなく、ガラス張りの、湖月堂本店が現れる。とおく見やれば、小倉城、紫川の気配がある。祭りの季節は、特に良い。あちこちで太鼓の音が鳴り、人々の熱気がまちを覆う。うつくしい菓子の並ぶ販売店と、目を奪うばわれるとりどりのメニューは、ちいさなころから憧れの眺めであった。

「甘味とお食事処 喫茶去」

目抜き通りの一等地に、どっしりとした建物はまるで城内へつづく秘密の館のような設えで、あかるい菓子売り場を抜けると、階段脇に置いてある旧式の電話機の、秘密めいた姿にも惹きつけられる。一段上がれば、奥にぐっと深く、丹精に整えられた店内には石灯籠を据えた優美な坪庭まであって、広々としたソファにゆったり、そのお庭を眺めながら味わう特別な時間は、贅沢そのものと感じられる。おもてのにぎやかさが、うそのようでさえある。

わたしは黒崎にうまれ、八幡で育ち、小学1年生で東京へ移った。それからすぐに北九州へもどり、20代のおしまいまで、このまちで暮らした。和クラシカルな喫茶室に初めて連れて来てもらえたのは、小倉へ越してすぐの頃だったように思う。蝶ネクタイをつけた銀髪の紳士の、すっと伸びた背筋と淡々としたサービスがくすぐったくて心地よく、10歳くらいのわたしは、とても澄まして小豆を口に運んだ。

よっぽどおいしそうに食べていたのだろう。それから、ちょっといいようなことがあると、ご褒美に、喫茶去が待っていた。ぜんざいはもちろん、おうどんも好きだった。宇佐屋も資さんも川口屋もやすべもはるやも大好きで、そのうちに、「小倉で鍋焼うどんなら、若竹もいいよねー」などと生意気なことまで言うようになって、それでも、「喫茶去」でいただくおうどんがどうにも最高だったものだから、次こそは、ハンバーグを食べようなどと思っていても、おうどんとぜんざいにひれ伏してしまい、毎回、くるしい、しあわせ、と、訴える。

貴船に住んでときには、黄金市場、旦過市場を日常とし、銀天街を闊歩した。アーケードにふさがれた空も、井筒屋の上のうすい雲のかかったような空も、モノレールのある空も、好きだった。仕事場が小倉であった両親の、まさに庭であったかのような商店街もデパートも、隅から隅までをわたしは愛し、誇りに思った。

「おぼえていますか、栗の味」

曾祖母は、栗饅頭を売っていたと聞く。しっとりとした薄皮に、上品な白あんの饅頭や丸ぼうろは、いつも近くにある味だった。茶人であった祖母も、ただの甘党であった両親も、湖月堂の菓子を好んだ。喫茶去には、歴々の恋人も連れて行ったし、友人とも喫茶去で秘密の話もした。

大失恋したわたしに母が買ってきてくれたのも、そういえば、ぜんざいであった。みるみる細る、やせぽっちのからだを大変に心配していたのだと思う。食べたいときに食べんねと、それは冷蔵庫に三つもあった(ひとつ食べようとした父は、窘められた)。プラスチックの器にぎうと詰まった白玉をすくっていたら、胸のつかえが徐々にとれて、母の前でわんわん泣いた。しばらくして、あたらしい洋服でも見に行こうかと連れ出してくれた母と、魚町を歩いて、歩いて、あたらしい靴を買って、あの入口をくぐり、いつもは選ばないパフェを食べた。背の高いグラスに、抹茶のアイスクリーム、栗、小豆、ここにも、愛らしい白玉があった。様子を変えても、白玉と小豆はふんわり美味しくて、どれだけ涙を流しても、わたしは、元気に、いきていた。

曾祖母はとうに亡くなり、祖母も去り、母も早くに旅立った。

地元を離れることになってからも、帰省や出張の折には、必ず立ち寄る場所のひとつとして、喫茶去は現在もそこにある。小倉駅に降り立つわたしは、先ず、確かめるように白玉を口に運ぶ。おしまいにいただく熱いお茶もうれしく、丹精な店内に華やぎをそえるマダムたちのおしゃべりの端々に、帰ってきた!と、胸が高鳴る。夫となるひととも、もちろん、共に訪れた。久方ぶりに会う同級生らともここでぜんざいをいただき、はにかみながらあたらしいパートナーを紹介してくれた父とも、一緒に、しあわせなテーブルを囲んだ。

今夏も帰るつもりでいたが、赴けるのはもう少し先になりそうだ。いつもなら、東京でわたしを待つ人には栗饅頭と、祇園太鼓。それに、削がれぬままの方言でかたる土産話とを、ぐいと押し付けるのが常であり、「食べり、これ」と、すすめるところまでがたのしみの里帰りなのだけれど。COVID-19なるものに立ちふさがれては致し方なく、こうして、記憶を手繰り寄せている。

ずっと好きなあのまちの空とぜんざいと、甘やかな時間とが、今はただとても恋しい。

作者:中川 マルカさん
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