エッセイコンテスト「第1回 キタキュースタイルカップ」 審査員賞受賞作品
東京で生まれ育った私が北九州に来たのは5年前、知り合いに仕事に誘われたのがきっかけだった。北九州、と聞いて正直最初は少々怖気づいた。縁もゆかりもなければ、土地勘もない。それに、私が持ち合わせていた数少ない北九州のイメージといえば、派手な成人式と嘘か本当かもわからない修羅の国にまつわるエピソードだった。
住めば都ともいうし、またとない仕事のチャンスではあるから、2年ぐらい修行のつもりで行ってみよう。どうしても街に馴染めないようだったら、またに東京に帰ればいいのだから……散々迷ったあげく、気持ちにちょっぴり保険をかけることで、私は北九州行きを決断した。25歳のときだった。
不安で仕方がなかった北九州移住だったが、実際に住んでみたら想像を遥かに越えた居心地のよい暮らしが待っていた。まず、ごはんが何を食べても美味しい。肉、魚、野菜のどれも新鮮で、外食はもちろん自炊も楽しくなった。ほどよく都会で、少し足を伸ばせば海も山もある環境も文句なしに素晴らしい。休日はひとりで海でぼーっとしたり、友人達と山歩きをしたり、アウトドアで過ごすことが俄然増えた。家賃が東京ほど高くはないため、家と職場の距離は近くなり、住まいも広くなった。これまでの満員電車が当たり前の生活がどれだけストレスだったのか、北九州にきてはじめて自覚した。
北九州を大好きになる決定打は古き良き港町である門司港との出会いだった。移住当時、小倉に住んでいた私は、門司港のアートプロジェクトの手伝いをきっかけに、毎週末のように門司港に通うようになった。門司港の人達はおしなべて優しく親切で、すぐに世代や性別を越えて友人が出来た。港町としての気質が残っているからだろうか、よそ者である私を煙たがるどころか面白がっては、門司港の色んな場所に連れまわしてくれた。汽笛の音、潮の匂い、古きよき風情が漂う街並み。門司港を私が好きになればなるほどに、彼らは誇らしげに喜んだ。
街の魅力は人の魅力でもある。私が出会った門司港の人達はみな自由闊達で、カフェの店主、デザイナー、不動産投資家、大工、アーテイストなど、自分の特技を街のために活かして暮らしているような人が多かった。街の規模的に人と人が繋がりやすいからだろうか。誰かがお店やイベントなど何か新しいことをやりたいと手を挙げたときには、それに協力できる人や場所があっというまに集まる……そんな瞬間を何度も目撃した。思えば東京にいるときは、音楽やアートや様々なイベントなど提供される娯楽を消費するだけで毎日が飛ぶように過ぎていった。ここ門司港には東京ほど刺激的なカルチャーはないかもしれない。けれども、門司港の色んな場所に顔を出してあれこれ手伝っているうちに、この街には何もないからこそ自分達の手で新しいカルチャーを作り出す余地があるし、その方が面白いと思いはじめるようになった。
同時に、門司港の人達との関わりのなかで「私が門司港で出来ることは何だろう?」と考え始めるようにもになった。そのとき思い出されたのは移住前の心細さと移住後の心地よさのコントラストである。私は北九州にやってきて門司港に出会い、暮らしの楽しみ方の幅が広がることで、ぐっと生きやすくなった。ただ、移住前は知り合いも街の情報もないことが不安で仕方がなかったし、そもそも仕事の縁がなければ北九州に住むという発想すら出てこなかっただろう。このギャップを埋めるためになにか出来ることはないだろうか、誰もが気軽に北九州に住むきっかけを作り出せないだろうか……そう考えたときに思いついたのが「シェアハウス」だった。
シェアハウスであれば、誰でもトランクひとつで気軽に引っ越してくることができる。一緒に暮らしていくなかで、私が知っている北九州の面白い人や場所もシェアすることができる。更にはシェアハウスを媒体に北九州で暮らすことの魅力を外に発信することもできる。考えれば考えるほどに名案のように思えた。「北九州でシェアハウスをやりたい!」そんなことを街の人達に言ってまわるうちに、門司港のとある物件オーナーとの奇跡的な出会いがあり、シェアハウスの管理を任せてもらえることになった。
そんなわけで、いま私は5人のシェアメイト達と門司港で楽しく暮らしている。みんな門司港の外からやってきて、出身も性別も年齢も職業もバラバラだが、一緒に暮らしているうちに家族のような関係になっていくのは面白い。街の大好きな人や場所など暮らしを全部ひっくるめてシェアする生活のなかで、門司港のことを好きになってくれるのは自分のことのように嬉しい。なかには、1ヶ月だけ住む予定だったのを半年に延長したり、門司港で自分の仕事をつくってみたり、新しい物件を借りてみたり…自らの暮らしを門司港に新しく根付かせようとする人もいたりして、とても頼もしく喜ばしく感じる。仮にいつかシェアハウスないしは門司港を旅立つ日が来たとしても、彼らにとってまた帰ってきたいと思える家であり街であれたらいいなと思う。
そんなシェアメイト達や私自身の経験を顧みて思うのは、どこで誰とどんな風に暮らすのが自分にとって幸せなのかは、実際にやってみないと意外とわからないということだ。だから、長い人生の一時期に北九州に試しに住んでみるというのは、ひとつの選択肢としてありなんじゃないかと思う。気に入ったら長く住めばいいし、たとえ長く住まなくとも、また訪れたい場所や会いたい人が人生に増えると思えばラッキーだ。きっと住む場所というのは服を着替えるようにもっと自由に選択してもよいものなのだ。そして、シェアハウスという暮らし方が北九州との出会いを紡ぎ、移住のハードルを物理的にも心理的にも下げる一助になることを私は願っている。
著者:さとう みくるさん
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