エッセイコンテスト「第1回 キタキュースタイルカップ」 審査員賞受賞作品
生後8か月になる娘が、あっという間にハイハイを始めた。
少し前までソファーの上ですやすや寝ていたのに、今はソファーの上なんかで寝かせようものなら、寝返りして落ちてゴツン!だ。そしてギャアアアアア!だ。ちょっと目を離すと、色々な“角”にぶつかっている。娘が生まれて、家の中が角だらけになったように思う。
会話ができない0歳の娘と二人きり。いつまで続くのだろう。抱っこしても泣き止まない娘に「もう、何なんよ。なんでそげん泣くんよ。」と怖い声で呟く。そして、「あ、いかん、私疲れとる。こんままやったら娘に優しくできんくなる。」と危機感を抱く。気分転換をしなければ、と、ぐずる娘を抱っこしたまま、友人に電話する。
「そうったい。毎日子供中心の生活って、私は子供おらんけんわからんけど、大変とやろうね。」と友人は優しい言葉をかけてくれる。私は娘がまた泣き出さないように、ゆらゆらと揺れながら答える。「もうたまらんよ。とにかく誰でもよかけん、意思疎通ができる人と会話がしたくなったとよ。」「ちょっと、誰でもよか、っていうのは失礼やろうもん。」とげとげしていた私の心がほぐれていく。
「じゃあさ、子供のことは何も心配いらんとして、一日好きなこと何でもしてよかって言われたら、何がしたいと?天神でしゃれとうカフェに行く?博多駅で買い物?」。
「そうやねえ……。」目を瞑って考える。天神。博多。楽しい響きだ。久しく行っとらんな。授乳の事を考えんで、久しぶりにお洒落ばしてヒール履いて出かけたら楽しかろうな。
──いや。違う。何を考えているんだ私は。
何が天神かっちゃ。博多っち何かちゃ。
「小倉。小倉に帰りたい。」
社会人になって博多の会社に勤務するようになったが、私は子供が生まれる前から、いや結婚する前から、小倉から離れた時から、『どうしようもなく疲れると小倉に帰りたくなる病』を患っている。
小倉に「帰る」。そう言うが、私の地元は小倉ではない。宗像市だ。
ただ、父の転勤で小学生の頃に3年ほど小倉で過ごした。その後宗像に越したが、高校卒業後は小倉の北九州市立大に4年間通った。つまり、小倉で過ごしたのは、私の30年間の人生の中で、たったの7年間だ。しかも、大学時代は実家の宗像から通っていたので、住んでいたわけでもない。
それなのに、私は小倉に行くことを「帰る」と表現する。そう表現してしまうような、そんなようなものが、小倉には、ある。
小学生の頃は到津遊園(現・到津の森公園)の近くに住んでいた。週末には、母がバスで小倉駅の方に連れていってくれた。ディズニーが大好きだった私は、井筒屋のディズニーストアに行くのが楽しみだった。お店の中にいるだけでディズニーランドに来たような気持ちになったものだった。その後は小倉そごうに行く。最上階のカウンター席しかない小さなお店で、メロン味のフローズンを買ってもらって、小学生の私には高い椅子に座って、足をぶらぶらさせながら飲む。そして、同じく屋上階にあったペットショップに行って、大好きなハムスターをいつまでも眺めていた。小倉は、本当にわくわくする場所だった。
小倉に来る前は田川市に住んでいた。ものすごく田舎だった。初めて小倉に来た時には、とんでもない都会に来てしまったと思った。少し歩けば、飲食店がたくさんあった。夕食を食べたあとに、家族で歩いてよくミスタードーナツに行ったものだった。私の大切な思い出が、小倉にはたくさんある。
小学5年生の頃に親が家を買い、そこからは宗像市で過ごした。高校生の頃、大学はどこに行こうかな、と考えた結果、またあの小倉で過ごしたいなという思いが生まれた。だが、やっぱり福岡市も捨てがたい。悩んだ結果、大学時代は小倉で過ごして、卒業後は博多の会社に勤めよう、と思い、北九大を受験した。
その4年間で、私はすっかり小倉の虜になった。小倉に勤める事も考えたが、やはり福岡市に憧れがあった。小さい頃から、博多のオーエルになりたいな、と漠然と思っていた。博多の街はキラキラして見えたし、博多に行く時には、お洒落をして出かけていた。私は博多駅近くの会社に就職することにした。
初対面の人と話すことが苦手な私は、そんな自分が変わったらいいなという思いもあり、テレフォンオペレーターの仕事に就いた。研修は何とか頑張ったが、実際お客さんと話すようになり、緊張で私は毎日くたくただった。そして、たくさん失敗もした。
そんな毎日を繰り返していると、業務中、“ポキッ”と心が折れた音がした。「あ、もうだめだ。」業務時間が終了し、逃げるように更衣室に向かう。「早く帰ろう。どうやったら私はまた元気になれるだろう。」制服を脱ぎながら考える。
疲れた時、私、どうしてたっけ。
あたたまると癒されるよな。うどんを食べるのはどうだろう。かしわうどんと、別皿でごぼう天のトッピング、芋焼酎のお湯割りを注文しよう。かしわうどんでまず空腹を満たし、その後、ごぼう天をつまみに芋焼酎を飲もう。
しっとりバーで飲むのもいいなあ。裏路地のバーで大人っぽく過ごしたい。寡黙なマスターが、すっとミックスナッツをつまみに出してくれたりなんかして。無音で流れるローマの休日を見ながら、甘くてさわやかなチョコミント味のカクテルを飲もう。
静かなカフェに行くのもいいなあ。夜風にあたりながらホットコーヒーを飲もうか。流れる川を見ながら、ちょっと一服でもしよう。
うどん、バー、カフェ。博多にはいくらでもある。選び放題だ。私はいつも通り会社から出て、博多駅に向かう。
そして、そのままいつもは乗らない新幹線に乗った。
私の頭に思い浮かんでいたうどん屋さんは、資さんうどん魚町店。バーは旦過市場裏の新旦過横丁のBarrack。カフェはリバーウォーク北九州の近く、紫川沿いのシアトルズベストコーヒーだ。
スマートフォンで到着時間を調べる。たったの15分で着く。何で早く帰らなかったのだろう。まだ着いてもいないのに、小倉に帰れるという事実だけで、新幹線の中で既に穏やかな気持ちになっていた。
小倉駅周辺は、私が大学生の頃とはお店も色々変わっているけれど、変わらない小倉の空気が、そこには漂っている。魚町銀天街を抜け、紫川沿いを歩くと、そこには光に照らされた小倉城が、「おかえり」と私にあたたかく微笑んでいる。
「ほんっと、あんたは小倉が好きとやね。」ずいぶんと長いこと喋ってしまった。
「うん。今度は夫と娘と一緒に、小倉に帰りたいな。」
娘の目には、小倉の街はどんな風に映るだろうか。娘も大きくなったら「小さい頃、お母さんに到津の森動物公園に連れて行ってもらったなあ」と、思い出したりするだろうか。「楽しかったなあ」と、大切な思い出として、心に刻まれるだろうか。
そんなことを想像しながら、いつの間にか私の腕の中ですやすやと眠ってしまった娘を見つめて、この幸せをぎゅっと大切に抱きしめる。まだ帰っていないのに、私はまた、穏やかな気持ちになっていた。
作者:大塚 久美子さん
【note】