まつわる紐、いまだほどけず…【エッセイコンテスト 審査員賞受賞作品】

エッセイコンテスト「第1回 キタキュースタイルカップ」 審査員賞受賞作品

北九州は晴れとるかねぇ。

普段は台本を与えられる側で執筆なんてしたこともないわたしが、エッセイなんて未知のものを書こうと思ったのは正直、賞金に釣られたところが大きい。

「賞金貰えたら北九州行けるやん?まだ旅行に踏み切るのは早いけど、資さんのトートバック付きのうどんセットが通販で買えるやん?ぬかだきも通販できるやん?」あとは、北九州のことなら書けるという直感だった。(ちなみにこの直感は見事に外れて書くのは相当に時間がかかった。)

現在東京に一人暮らし、貯金なし。コロナ禍の減収で家賃滞納して光熱費も遅れて支払っている。二ヶ月弱、外食もせず人とも会わず狭いアパートに閉じこもる非常事態。にもかかわらず、わたしは思ったより絶望しなかった。お金はないが結構充実していたのだ。ギラダンス踊ってみたり、北九州のマブダチにお誕生日動画を送ったり…朝カフェオレを入れるとき、タンガコーヒーやファンファンを思い出す。あの星空みたいなマグカップでチャイ飲みたいなぁ。スーパーでちょっとひなびた大根を見たとき、旦過市場で大根の葉っぱをたくさんくれた八百屋のおばちゃんを思い出す。ぬかだきピリ辛ゴボウ唐揚げも食べたいなぁ。

早くみんなに会いたい。

私は東京で役者をしている。それだけで生計を立てるには至っていないが…いまのところ、ね。

過去に二度、北九州に滞在して演劇創作に参加した。小倉にある北九州芸術劇場の企画だ。一度目は「北九州の街を描く」演劇を作るというコンセプトで、いろいろなところに行った。門司港、関門海峡、皿倉山、千仏鍾乳洞、カルスト大地、若松戸畑のポンポン船にも乗ったし、曽根干潟でカブトガニの抜け殻探しにも行った。美しい北九州の景色に反するように、この一度目の北九州でわたしは「わたしみたいな人間が役者をやっちゃダメだ…」と挫折する。これについてはいつか言語化できたらなと思っているがまだ無理そうだ。ただ、北九州の人たちは地に足が着いていた。人の価値観に左右されず、優しくて強くて豊かだった。それに比べてわたしは空っぽだった。土地の力というのがあると思った。野菜が育った土地によって違うように人も同じなのだ。東京の乾いた土でわたしは多分ひなびていた。刺激という肥料でごまかし、自己防衛という農薬を撒いて、いつの間にか形だけ揃えられた美味しくない野菜だった。誤解を恐れずに言うならば、この時わたしという人間はちゃんと枯れた。

東京に戻ってからは大袈裟ではなく北九州を忘れたことはなかった。というより、北九州はわたしの中に入り込んでいた。空っぽから1になるには、もう一度小倉に行かなくてはいけない。美味しい人間になりたい。耕す時間を過ごした。

2年後、再び小倉に立った。
2020年2月。北九州芸術劇場クリエイション・シリーズ第一弾「まつわる紐、ほどけば風」

少しだけ芝居に踏み込んだ話をしたい。
一度目に参加した時のコンセプトは前述した通り「北九州の街を描く」だったが、二度目に参加したクリエイション・シリーズのコンセプトは「北九州で演劇の種を見つける」だった。大阪の劇団太陽族の岩崎正裕さんが一年かけて北九州を取材し、女性の生き方に焦点を当てた台本が完成した。
わたしはボルダリングジムに通う、職場結婚して不妊治療に取り組む妻の役を頂いた。正直、相当びびっていた。命を扱う人間を演じる時、わたしの選んだ表現が誰かをひどく傷つけるかもしれない。正しい答えのない選択に対して、わたしはわたしなりの表現を選ばなくちゃいけない…。自分に対しての「〇〇しなくちゃいけない」「こうあるべきである」って、覚悟であり、責任感であり、呪いだ。

ちなみにお稽古は小倉の劇場で行われるため、マブダチに居候させてもらい小倉の街で生活をしながらの演劇創作だった。小倉駅からほど近くにチャチャタウンという場所がある。赤い観覧車が目印の、お世辞にも綺麗とも新しいとも言えないさびれかかった商業施設である。マブダチ曰く「あれぞ北九州」とのこと。西鉄ストア、ドラッグストア、ユニクロ、TSUTAYA、ダイソー、ABCマート、カルディ、雑貨屋…ここにくれば生活に必要なものは揃う。奇をてらわないきらきら媚びてない感じが取り繕わなくていいから気やすい。ちなみにチャチャタウンには野外ステージがあってピエロショーが定期的に開催されている。

本番間近のその日、ふらっとチャチャに行った。一言も喋らないピエロがみんなを笑顔にしていた。どうやら常連らしい兄妹が勝手に舞台に登って行ってピエロと踊っている。突如舞台に上げられたご夫婦は居心地悪そうに照れていて、多分部活帰りの中学生三人組が冷たくない冷やかしで寄ってきた。ヘルプマークをつけた女性が犬のバルーンを貰うために列に並んでいて、しわくちゃのおばあちゃんが一人でにこにこしていた。きれい…。わたしはなんだかぽろぽろ泣けてきた。美味しいものもたくさんあるし、美しい山も海もあるけれど、そこに住むどんな人も生活も受け入れるチャチャがまさに北九州だと思った。

北九州で学んだことがある。価値は自分の中にしかないということ。どんなにオススメされようが、ネットの評価が良かろうが、五感を使って感じるのは自分なのだ。自分が良いと思ったらそれは間違いなく良いのだ。人の価値観に委ねない。不味い人間になる。わたしは今憚らずに言える。チャチャ最高っ!!ここだけの話、この景色を見てわたしの役は出来上がった。呪いだって悪くない。

舞台の方はというと、コロナで中止になった。(正確には初日の一回だけ上演したのだけど。)移り変わるコロナ情勢の中、伊丹での公演も中止になった。舞台が中止になるのははじめてだった。

空っぽのゼロから1にるために来たのに0.6ぐらいでまた東京に戻ってしまったわけだ。が、あの時のことを振り返るにはまだ早いと思っている。延期公演が検討されている。なくなったんじゃなく、終わっていないだけ。まつわる紐は、まだ、ほどけていない。いつになるかはわからない、どんな形になるかもわからない、それでも必ずまた北九州に戻ると信じている。

未来に信じられるものがあるというのはこんなにも心強い。家賃滞納したくらいじゃ死なないし、時間があるからエッセイなんてものも書けた。書くまでもないが、わたしは野菜ではなくて人間だ。どこにでも行くことが出来る。この先の人生で何度も北九州に足を運ぶだろう。わたしを耕してくれた街や人に会いにいくだろう。あなたたちの街は豊かだ。健やかだ。あなたたちはとても美しい。再演された際には観にきてほしい。あなたたちの街が耕した人間を面白がって観に来てほしい。あなたたちの街がどんな未来への種を生んだのか観てみてほしい。

ちゃっかり宣伝も盛り込むしたたかさも、北九州で手に入れたと思っとるんよ。

作者:大野 朱美さん

北九州芸術劇場ホームページ