わたしはいつまで経っても自分に自信がもてない、揺らいでばかりだ。
人生の様々な場面で、「自信」を持てていたなら…と思うことばかり。
そのせいで随分と卑屈に過ごしてきた時期がある。正確には今だって、その波が押し寄せることも珍しくない。ハッキリと言葉に出来ない、カタチのないもの、関係性、比較、未来の不安など捉え方や自信のなさからくるものが大きい。
苦労の多かった幼少期だったので若い頃は、家庭や環境に恵まれた人をみると苦労知らずに思え、それだけで羨ましかった。
若い頃はその苦労や辛い経験を、まるで自分の売りや武器かのように 悲劇のヒロインぶり、仕事や恋愛で利用していた時期もあったように思う。それはそれで良いのかもしれないが、今の私にはしっくりこなくなってきた。正確には必要なくなったからに思う。
年齢を重ねて人と出会うほどに、わたしが素敵と思う人達は会話を重ねる過程で苦労を知ることはあっても、自らひけらかすことも、偉ぶることがなかったことが大きく関係している。自分に自信を持てる理想像とかけ離れたからだ。そして仕事も人間関係も、その背景がなくとも評価されることが私が描く本来の姿と気付けたことが大きい。
この自信のなさが私を育ててきたと今は思う。どうしたら自信をもてるのだろう…と試行錯誤してきた人生だった。今もその過程にすぎない。
容姿も背が高く、少しでも背が低く見られたくて猫背になりがちな若い頃だったが、それは余計に自分の自信のなさを露見しているに他ならない。今は姿勢を意識して伸ばすよう気を付けている。思春期から成人しても長くニキビや肌荒れに悩み、真っ赤にデコボコの素顔だったので必要最低限以外は引きこもった時期もある。スキンケア美容に取り組み、メイクも中々の腕前になれたと思う 笑。 外見から何かを変えるのは自分に暗示もかかり、本当に魔法になることがある。
あらゆる場面で私なんかが…と譲ったり、声をあげずにきた。それで妬みから自己嫌悪になり落ち込む夜ばかりだった。ここ数年はやっと「だからダメなんだよ、ここで手を挙げろ!」と1人ツッコミしながら一歩前に出れるように意識している。自信をつけたくて、あえてのチャレンジを40代半ばになって、やっと出来るようなってきたスロースターターだ。
そうするうちに不思議なもので私の今を見ている人たちからは、積極的な人と言ってもらうことが増えた。わたしにはこれがある!!…という価値が見いだせてないからこそ、ジタバタする模索過程が他者にはそう映ったのだと思う。
今、この日々の逃げ出したくなる自信を持てない日々を胸に秘めながらも 僅かでも自信もてるものがあるとしたなら、失敗の数だけ励まされるモノやヒトに支えられながらも培ってきた立ち直る力だ。
そして私が気付けたことは、自信は一度に手に入らず、育むものかもしれないということだ。
若い頃は素敵と思った服を何年も着れなかったことがある。着こなす似合う自分でないと、他者に思われるのではないかと自信が持てなかったからだ。大人っぽいデザインの素敵な白いブラウスを当時このシャツに似合う女性になれるようになろうとカタチから入ることも少なくなかった。そんな服をお守りのように手元に置いて過ごしていた。
二十歳くらいの頃、百貨店で一目ぼれした赤いバーバリーの傘を思い切って購入したことがある。私には、それはとても高価な買い物だった。その傘を持つと自分まで華やかになれた様なきがしてウキウキした。
そんな中、買って間もない頃すぐにその傘を修理もできないほど壊してしまい、それは深く落ち込んだ。当時の私には、すぐに同じものを買い直すほど手の届くものでなかったからだ。その様子をみた母が、母子家庭で決して余裕ない暮らしで倹約していたのに、このお金であの気に入っていた傘を買い直しなさいとお金を手渡してくれた。
戸惑う無言の私に、だってすごく気に入ってたんやろ…と。日頃、口数の多い母がその言葉だけを残し小言も言わず、部屋を出て行ったことも驚きだった。あの時の母の気持ちが年々より深く感じる忘れられない思い出だ。私の大切にしているモノやコトを同じように寄り添ってくれたのだ。
その後すぐバーバリーの赤い傘をが私の手元に来ることになった。この傘はもう20年以上、今も現役だ。この傘は持っていることで私に自信を与えてくれる物となった。
この傘が与えてくれる自信は母の想いがあるからだ。姉たちからは末っ子で一番 甘やかされてきたと言われ続けてきた私でも、少なからず母が懸命に私たちのため働き、自分の味方がいるんだと思える愛情を日々注いでくれたことがわかるからだ。母が朝から晩まで仕事を掛け持ち働き、洗濯や料理と家事をし、気づけばすぐ疲労から数分でも転寝ばかりしていた。そのお金の重みと母の真心が今はよりわかるからに他ならない。
この長く愛用している傘も修理が必要なときがあった。数年前、素材が特殊で今は手に入らないらしく、何店舗の修理店で断られたことがあった。諦めきれなかった。そんな中、素材は異なるがと前置きした上で、修理できるかチャレンジするので預からせてほしいと言ってくれたお店に出会えた。
そのお店は偶然にも私が初めて起業したカフェをしていた場所だった。
のちに無事に修理を終えて私の元へ戻ってきた。どれだけ嬉しかったことか!オーナーさんとお会いした方ならきっとわかると思うが、真心が伝わり、想いを込め手仕事をされる方だと思う。私の自信をつけてくれる大切なモノを守ってくれたお店だ。
このほかにもお気に入りだった10年もののモロッコのマルシェバッグも古びてダメかな,,,と相談したところ、メンテナンスを習い綺麗なビンテージ感がでてきた。そのときも「育てていってください」とオーナーさんの言葉が素敵で印象的だった。
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そしてこのお店の近所に十割そば「ほしの村」がある。以前、少しバイトで働いたことがあるからこそ分かったのだが、厳選素材や手間暇のかかる仕込みなど、お客としてきていても見えない部分の丁寧な手仕事に頭が下がる仕事ぶりだ。大将や奥さんと本当に心根の優しい人柄で人としても尊敬している。
だから私のなかでお蕎麦が美味しいこともだが、その背景を少なからず感じ取っていたからこそ元気と前向きな気持ちになれるスペシャルフードだ。
ほしの村
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思い通りに追いつけない現実、思い描くような心や見た目にはなれないこと。 そんな時も前を向くことを思い出させてくれる、自信を後押ししてくれるモノや人がいると生きる上できっとすごく心強いものとなる。それを支えてくれる生まれ育った北九州のお店とともに。