還暦少女のキタキューパトロール【エッセイコンテスト 入賞作品】

エッセイコンテスト「第1回 キタキュースタイルカップ」 入賞作品

60になった。なってしまったのだ。「還暦」なのである。23歳で結婚したので60ぶんの37は北九州でつくられたことになる。生まれは熊本の阿蘇、である。そもそもここで暮らすことになったきっかけは大分の専門学校にいた私と、同じく大分の大学にいた北九州に実家がある夫(正しくは元夫)との出会いだった。北九州ってどんなところ?なんて思う暇もなく結婚した。全然知らないまちだったのは確かだ。33でシングルになって二人の子どもも今はそれぞれ独立し、家庭を持った。私はというと歯科衛生士の仕事をつい4年前まで続けていた。

人生最後の仕事は何だろう、と考えていた矢先、ふと自分の居る環境を変えたくなってしまった。北九州市の安全・安心相談センターの非常勤嘱託職員の求人があり、応募した。仕事の内容は北九州エリアのパトロールで道路の破損、普通財産、水道施設の監視など今までやったことのない業務だったが知らない世界を体験してみたい、と思い飛び込んでみた。

運転する公用車は小さな子どもたちが見たら喜ぶ、黄色のパトロール車だ。子どもたちの1番大好きな警察のパトロールカーは決して乗ることはできないけど、このはたらくくるまだって結構人気だったりもする。なぜなら幼稚園児たちに出会うと「あ、黄色のはたらくくるまだー!」と手を振ってくれるからだ。車は派手だけど実は結構地味でマニアックな仕事じゃないかなと思う。運転しながら道路の異状を探さないとないといけないが、交通規則を守りしっかり安全運転で巡回するのはかなり大変である。北九州市民になって37年。と言ってもやはり北九州は広い。知らない道路ばかり。行ったことがない所ばかりだし、読めない町名もこんなにあったと改めて気づく。そして普通なら見過ごしてしまいそうな道路の穴ぼこや段差、凹み、標識の傾斜、通行障害となりそうな道路上落下物を見つけ出し、写真を撮り、報告書にあげる。提出した措置改善報告書が戻ってくると、結果が気になるのだ。「道路の補修を行う予定です」と回答があるとちょっと嬉しくなる。数日後、その回答どおり穴ぼこがきちんと補修されたりしているともっと嬉しくなる。

自分が歩行者だったら、自分が障がい者だったら、自分が運転者だったら。それぞれの立場に立って異状を発見することが大切だと思う。ルンルン気分で歩いていた横断歩道も、よく見ると白線がほとんど消えて見えなかったりする。信号待ちの歩道で、点字ブロックが剥がれていたり壊れていたら視覚障害者も困るだろうな、とか。運転している時に大きな角材が落ちていたら・・べニア板や鉄製のブロックとか、踏んだら絶対パンクするかハンドルをとられそうなモノも時々見かけるが、なんでこんなモノが?こんな所に?と不思議になる。だから道路の傍らで大きな重機を操作している人とか、ロードローラーに乗って新しい道路をきれいに造り上げている人とか、破損したガードパイプを新しく設置している人とかに遭遇するとそれだけでワクワクしてくる。2歳と3歳の孫たちの気持ちがよーくわかる。炎天下のなか、土砂降りのなかで汗いっぱいかいて作業する人たちがとても愛おしくなる。それは私たちの仕事がこの人たちによって未来に繋がっているのだと感じるからだ。建物もそうだけど道路も長い年月のなかで疲れ切り、劣化し老朽化していく。人と同じように。

1年を通して季節の花々の開花状況も確認して回る。北九州市の花であるひまわりやつつじをはじめ、紫陽花、なんじゃもんじゃ、コスモス、チューリップ、そして紅葉。見頃を迎えた時には季節を身近で感じることができる。よっしゃー!1番乗り!みたいに。

海岸線を走りながら、この先が岩屋海水浴場かー(子どもが小さい頃、海水浴に来たことあった)とか ここに岡田神社ってあったんだ(私と同じ名前だしいつか御朱印欲しいな)とか、河内貯水池の水は減ってきてないかな(雨が降らない日が続くと心配だ)とか、散策気分も少しだけ味わえる。ちょっとした季節の変化を楽しみながらハンドルを握っている。

この仕事に就くまでは全く気にしなかったまちのことがどんどん気になってきた自分がいて。それが楽しくてしょうがない。3年目となった今年4月。自然や水辺に恵まれ、歴史と文化にあふれる魅力あるまち。やっぱり北九州っていいなあと心から思う。愛すべきこのまちをいかに安全に、快適な環境に維持しそして改善するか。その重大な使命をよっこらしょ、と背負いながら、還暦少女は今日も北九州のまちを走る。

著者:岡田 八千代さん