エッセイコンテスト「第1回 キタキュースタイルカップ」 入選作品
「お父さん、今日も頑張っとうね」
若戸渡船の戸畑渡場から若戸大橋を見上げると、なぜかそんな想いが胸をよぎる。
私は、戸畑生まれの戸畑育ち。
私の父は、私が4歳の時にガンで亡くなった。今年で50年になる。
父の記憶はほとんど無いけれど、幼かった私はおそらく、自分より随分と背の高い父親のことをよく見上げていたのかもしれない。
父を見上げる感覚と若戸大橋を見上げる感覚が重なって、そんな想いがよぎるのかも。
「お父さん、夜はライトアップされて凄いね、カッコいいね」
「SNSでも、お父さんの写真が色々とアップされとうよ」
などと話しかけたら、父は何と答えるだろうか。
「ライトアップ?」
「SNS?」
「なんか?そりゃ」
と戸惑って、会話が噛み合わないかもしれない。50年の時の流れとは、そういうものだろう。
若戸大橋が頑張って仕事をしている姿を見ると、何だかパワーをもらえる気がする。
「お父さんも頑張っとうけん、お前も頑張れ」みたいな感じで。
そんな若戸大橋をそばで見守りつつ、深い力強さも感じる若戸渡船。
若戸渡船は、私にとってはお母さんみたいな感じかな。
私の母は、父が亡くなってから女手ひとつで私を育ててくれた。朝早くから夜遅くまで働いて、大変なこともたぶんたくさんあっただろう。それでもいつも、朗らかで強く優しい母だった。色んな波を乗り越えて私を育ててくれた母の姿を、若戸渡船に重ねてしまう。
母も6年前に亡くなったが、今も若戸渡船に乗ると、母の腕の中で父を見上げているような気持ちになる。
程良い潮風が気持ちいい。程良い揺れが心地いい。視界には、流れる洞海湾の景色。片道の3分間が、両親と過ごしたわずかな時の流れとも重なるのかもしれない。
その洞海湾と言えば…
私が卒業した北九州市立三六小学校の校歌の1番の歌い出しが
「洞海湾の 朝あけに たかき理想の 雲わきのぼる」だった。
今も洞海湾を目の前にすると、この校歌が頭の中を必ず流れる。卒業してもう40年以上も経つというのに。
洞海湾の朝あけ。
私は実際にはまだ見たことはないが、SNSなどにアップされている写真では見たことがある。薄暗さの中に、まだ紅くなりきっていない若戸大橋や、渡場近くの街灯の明かりとのバランスが何とも言えず美しい。
この校歌の作詞をしてくださったのは、小倉のご出身で小説家の劉寒吉さん。このような美しい歌詞を書いてくださったのだが、三六小学校は20年以上前に、沢見小学校と併合して校舎も学校名も校歌も変わってしまった。
そうとはいえ、私の心の中に何十年も残っているこの校歌。
若戸大橋や若戸渡船、そして洞海湾への私の想いと重なっているからだろうか。
若戸大橋はお父さん。若戸渡船はお母さん。洞海湾は小学校の校歌。それぞれが、自分の中の想いとつながっている。
この場所に来ると、もう会えるはずのない両親や、もう触れることの出来ない小学校を感じることが出来る。
時の流れとともに、会いたい人に会えなくなったりもするけれど、つながる想いが自分の心を潤してくれることに気付く。
「お父さん、洞海湾の朝あけっち、どんな感じなん?」
毎朝、洞海湾の朝あけを見ているであろう若戸大橋に問いかけてみようかな。
「ちゃんと、自分の目で見に来んかっ!」
ほとんど記憶に無い父の声を聞きたくて、私はまたこの場所に向かうのかもしれない。
作者:三浦 久子さん
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