エッセイコンテスト「第1回 キタキュースタイルカップ」 入選作品
門司港駅の改札を出て、右の方に歩いていくとバスターミナルがある。
そこに停まるいくつかのバスのうち、6番のバスが海岸行きのバス。
高校時代はそのバスに乗って通学していた。毎日毎日同じ道、同じ景色。
通学には1時間ほどかかっていたので、部活帰りで疲れきった意識の中、
門司港の景色を見ると「やっとここまで帰ってきたなあ」とホッとする感覚があった。
高校を卒業してもう10年経つのに、6番のバスを見かけると
「6番のバスだ!しかも空いている!」と心の中の女子高生のわたしが反応する。
このバスに乗らないと帰れない!ということはもうないのに、
こうやって体に染みついている昔の記憶はいくつもある。
未だに地元に帰って20歳前後の人を見かけると、同級生かな?と思うことがあるが、
もうわたしは28歳。
どうやらわたしの中の門司港は、東京に出た19歳で止まっているらしい。
上京してすぐのころは、夜な夜な携帯画面の中の地元をみていた。
大袈裟だなぁと思われるかもしれないけれど、本当に毎日毎晩、
暇さえあればTwitterやインスタグラムで「北九州」や「門司港」と検索しては地元を思い出して泣いていた。
見慣れた門司港に、観光で訪れていた人が今日も写真をあげてくれている。
ああ。ありがとう。わたしはあなたのこの写真で今夜も救われています、と拝む。
それをきっかけにオンラインで友だちになった人も何人かいて、
それはそれで驚くべき自分の行動力でもある。
東京に行くと決めたのは自分なのに、いざ上京すると寂しくて寂しくて。
ああ、人はほんとに寂しさで死ぬのかもしれない、このまま朝になったら死んでいるかもしれない
と泣きながら眠りにつき、泣きはらした顔で普通に朝を迎える。
そんな日々の繰り返しだった。
帰省のために東京の生活を頑張っている、という意味不明な日々が続いていた。
けれどいざ帰ると、なんか違う。
門司港に帰ると海の匂いがした。
もう慣れてしまっていたその街に、こんなにも海の匂いがするなんて気付かなかった。
そりゃあこれだけ目の前に海が広がっていたら海の匂いくらいするのは当たり前なのだけれど、
北九州空港から母の車で門司港に帰り、ドアを開けた瞬間の風。
これがものすごく海の匂いなのである。
友人たちは、遊ぶ街から暮らす街へと視点を変えて、わたしの知らない北九州をたくさん知っていた。
あんなに毎日毎日同じ道、同じ景色を見ていたのに。
北九州で生まれ育ち、北九州で進学して就職して、結婚して子育てして人生を歩む。
そんな道を自然と歩んでいる友人が何人もいる。
そんな友人を羨ましく思うこともよくあった。
自分で選んで決めた道が間違いだとは思っていないけれど、
生まれ育った場所はやはりいつまでも特別で、
よく知っていた地元が知らない街のような顔をして迎えてくれるようになったのは、
なんだかとても寂しかった。
わたしはなにも変わっていないのに。
わたしがいない間にどんどん勝手に変わっている。
あとついでに、実家にあった自分の部屋がなくなっていたのもまあまあ悲しかったな。
そんな違和感のようなものを持ったまま上京して数年経ったころ、
地元にいる親友から、わたしが「どんどん遠い存在になっていく」と言われたことがあった。
最初はピンとこなかったけれど、地元を出て10年も経つ今、その言葉の意味が分かるような気がする。
地元の人や街が変わってしまったように思っていたのは、
もしかしたらわたし自身の変化のせいなのかもしれない。
もちろん、常に街並みは変化し、親は歳をとり、友人たちも大人になっていく。
この10年がたまたま20代だったからこそ、わたしは子どもから大人にグラデーションしている最中で、
いろんな記憶と目の前に広がる街並みが、一層強く変化しているように感じたのかもしれない。
6番のバスを見て、心の中の女子高生のわたしが反応する。
海の匂いを感じて、ああ、帰ってきたなあとホッとする。
些細なこと、目に見えないところに今でもわたしは自分の門司港を感じとれる。
今知っている門司港も、19歳で止まった記憶の延長線上にあって、
わたしにとっての帰る場所はなにも変わらずずっとここにあった。
人や街や時代がグラデーションしていく。
外側にいるからこそ分かる地元のグラデーションに、
これから先も、気づいていけるといいな。ただそれだけ。
作者:今夜さん