エッセイコンテスト「第1回 キタキュースタイルカップ」 入選作品
旧山陽道を西宮えびすから630キロほど旅打ちをしながら歩いて,ようやく下関に到着した後,どうやって九州に入ろうかなぁ,と思案した。
宿のフロントに訊ねると,
「歩いて門司港まで行ける海底トンネルがありますよ」
それは行ってみたい。
でも調べてみると,何年ぶりかのメンテナンス工事をしている最中で,12月の何日かまで,通行できないということだった。
下関駅から電車に乗って行くのが一般的だろうけど,どうもそんな入り方をしたくなかった。
「歩いて行くのにこだわらなかったら,船がありますよ」
「船!?・・・」
「唐戸桟橋から門司港まで出ています。途中,武蔵小次郎の巌流島による便もありますよ」
「そうかその手も有りですねぇ」
かつては川や海を,渡し場から船に乗って渡るのはあたり前のことだった。
東海道だって,宮から桑名までは七里の海を船で行くというのが,正規のルートとされている。
翌日,朝9時15分発の巌流島行き連絡船に乗って,潮流を蹴立てて進むこと約10分,歴史小説の中のこととしてしか理解していなかった巌流島に到着した。
次の便が来るまでの時間をそこでブラブラと過ごした。
二人の銅像を見,ウロウロしているタヌキの写真を撮り,ぐるりと歩いて島からの眺めを堪能した。桟橋では釣りをして一日を過ごしているオジサンたちが,陽射しの中,暢気そうに糸を垂らしていた。
やがて船がやって来て,
「外の座席にしますか!?」
と訊ねられたが,行きのあのけたたましい波飛沫を思うととてもそんな席に座る勇気はない。一組のカップルが座ることになったようだが,門司港に着いた時,見るともうビショビショになっていた。
女性は笑っていたが,男性の方はなぜこんな目に遭ったのか,理解できない表情で佇んでいた。
門司港である。九州である。
「オモロイ入り方ができたなぁ~・・・」
私は一人ほくそ笑みながら桟橋を歩いて行った。
「!!」
するとそこには風格ある駅舎が,まるで時間の迷宮に誘い込むように迎えてくれている気がした。
正面の噴水で遊んでいる中学生がいる。
鳩がその周りに降り立ち鳴いている。
映画のワンシーンのような松本清張の推理小説のキーワードになるような物語の世界がそこに広がっているような思いに捉われ,しばらく正面からその駅舎を眺め,見惚れてしまった。
JR門司港駅である。しかし,もともとはこの駅こそが“門司駅”だったのである。
昭和17年(1942)に関門トンネルが開通して,門司駅と小倉駅の中間にあった大里駅に接続するルートを取ったことによって,大里駅を門司駅にし,門司駅を門司港駅と改名したのである。
それによって,門司駅から門司港は支線のようになってしまい,門司の街を散策するためのに赴く観光線のような路線になって行ったのだ。
終着駅としての門司港駅が,なぜここにこんな立派な駅舎を構えているのか・・・!?まったく知らない人にとっては,不思議に思い首を傾げてしまうことだろう。その様相と存在感が,あまりに今と不釣り合いで,見上げているうちに私もなんだか照れくさいような気持ちになって,不明瞭な思いを抱いたまま構内に足を向けた。
駅員がレトロな制服を着て業務に携わっていた。
「第三セクターになってしまっていないよな・・・」
そんな気持ちに捉われながらも,観光に徹する真摯な姿に好感を持った。
JR鹿児島本線の始発駅兼終着駅は,今尚この門司港駅なのである。“新”門司駅は,何の所縁もない“大里”駅としての役目を今も黙々と果たしているのだ。
頭端式のホームは,函館駅や上野駅と同じように,櫛形になっており,いかにも終着駅・・・といった感じが漂ってなかなかだ。
街は往時の活気こそないが,それはそれであっちこっち歩いてみたくなる街並みなのだ。かつての空気を思い起こさせるような寂れ感,というと叱られそうだが,きちんと年老いても身だしなみを整えている紳士淑女の雰囲気が漂っている気がするのである。私はこの街がいっぺんに好きになってしまった。ブラブラ散歩するにはもってこいの大きさだし,何といっても海が良い。風景が良い。
古くなった駅舎を改装する工事に入るようだが,今風の,近代的と言ってしまえばただそれだけの殺風景な駅に変わってしまうことだけは避けて欲しいなぁ~・・・と思いながら,もう一度噴水広場から駅を見上げた。
電車に乗って,小倉まで行くつもりだったが,国道3号線か199号線を歩いて行けば昼過ぎには到着するだろう。
常盤橋から幾つも出ている旧街道のことはまだ全く調べていなかった。
門司往還という道があることは知っていたが,そこがどういうコースに今なっているかはまだ全然調べていなかった。
「そんなことはどうでもええわ・・・ブラブラ行こう・・・」
噴水広場にはまた別の中学生が集まっていた。修学旅行のようだ。こういうひと時の方がきっと思い出に残ったりするのだろう。
この時,2010年だったから,もう10年の歳月が経過していることになる。
彼ら彼女らは,今,25歳くらいになっているはずだ。いっぱしの社会人だ。フッとこの時のことを思い出す夜があったりするだろうか。
「変なおっさんが,私たちにカメラを向けていたなぁ~・・・」
とか・・・。
さて,出発!
門司港駅前から,なんとなくてくてくトボトボと歩き出した・・・。
こうして私とこの街との10年の密月が始まった。
仕事と絡めて,時間をつくり,常盤橋からちょっとずつ,中津街道,長崎街道,秋月街道,唐津街道・・・などの旧道を歩いて行き,どの道ももうかなり進んでいるのだけど,小倉に宿を取り,旦過市場を覗いたり,城下をあてもなく歩いてみたり,もう何度も歩いている門司往還にブラブラ足を向けたりということを繰り返している。
今年も行く計画だった。
夜行バスで東京から防府に行く便に乗って,そこからJRを乗り継いで・・・という勝手なコースを作り,北九州へ入るつもりだった。
いつもお昼時は行列ができていて,今年こそは入るぞ,と意気込んでいた中華店や地元の人に勧められていた焼き鳥店に行くのを楽しみにしていたが,新型コロナウィルス禍の大騒動で叶えられなかった。
旧道は逃げないし,名所旧跡・神社仏閣は,何程の事もなく佇んでくれているだろう。
船に乗って,巌流島を経由して,あの時のように,門司港駅から,ゆっくりと歩いてみようか・・・。
新たな旅の始まりが,今はただ待ち遠しいだけ。
作者:本城 浩志さん