門司港のゲストハウス・ポルトから“出航” 故郷・愛媛県松山市で活動開始 長野さくらさん【KITAQ Style 1000Project No.4】

–門司港にはどのような印象を持ちましたか?

長野さん「ポルトで働くまでは門司港にあまり行ったことがなかったんです。実際に足を踏み入れてみると、若い人たちが集まっている華やかな観光地と、脇道に入っておじいちゃんおばあちゃんがわいわいやっているところのギャップがすごいなと思いました。 私たちポルトが入っていくローカルなコミュニティは商店街よりもさらに奥の住宅街の中にあるんですが、最初は苦労が絶えませんでした」

–苦労話をお聞かせいただいてもいいですか?

長野さん「地域の方はとても優しくしてくださったんですが『ゲストハウス』というものを分かりやすく説明するのがとても大変でした。オープン当初は酔っぱらったお客さんが来たこともありました。お酒を出していたので飲み屋さんと言われたらそうなのですが、お酒を飲みに来るところかというとそれはちょっと違うかなと……」

–コミュニティに溶け込むのも大変だったと思います

長野さん「私は自分の仕事があってなかなか外出もできなかったので、 ポルトのお客さんが先んじて他のお店に行ってくれたり、他のスタッフが宿にいるお客さんと一緒にご飯を食べに行ったりしていました。ポルトの大家さんも気さくな方で、お客さんにちょっと飲みに行きませんかと連れ出してくれて。

そのうちに、ポルトの界隈の人たちはたくさんお客さんを呼んでくれて本当にありがたい、と周囲から言われるようになりました。そこで、門司港の人がいつも私たちに手を伸ばしてくれていることが分かり、それからは積極的にコミュニケーションをとるようになりました。ポルトがオープンして1年経ったあたりの話です。

翌年以降は新型コロナの影響で、ポルトをちゃんと開けている期間がトータルで1年もあるかなぐらいの感じですね。開けていても1日3組しか受け入れないとか、でした」

–ポルトを閉めていた間にはどんなことをしていたんでしょうか?

長野さん「コロナでお店が開けられないときには、これまでに出会ったお客さんや起きた出来事を急速に咀嚼し始め、それを文章にするようになりました。 おかみとして思ったことや今後取り組みたいことをnoteに書くことで、自分のやりたいことが淘汰され、自分で宿を経営したいという気持ちが固まってきました。

このまま北九州にいたらずっと楽しいだろうし、ポルトのような混沌とした環境で自分も成長できると思っていたんですが、周りの人もいろいろと環境を変えていたので、 私も環境を変えた方がいいのかもと思いポルトを離れることにしました」

–今後のご予定などをお聞かせください

長野さん「地元に戻ってから1年間は今まで出会った人に会いに行ったり、他のゲストハウスを回ったりしつつ、愛媛でも繋がりを増やしていきたいと考えていました。でも慌ただしくてなかなか行けなくて。 今作っている施設が夏の終わりに完成する予定なので、それまでしばらくは出られないかなとか思っています」

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