「北九州市の“人”をもっと知る」がコンセプトのインタビュー企画・KITAQ Style 1000Project。
第4回は、愛媛県松山市で『PUBLIC HOUSE はま』を準備中の長野 さくらさんをご紹介。
長野さんは門司港のゲストハウス「ポルト」の元おかみ。2022年に生まれ育った松山市での活動をスタートしました。
–8年ぶりの地元はいかがですか?
長野さん「今年(2022年)の4月に門司港のゲストハウス・ポルトを辞め、生まれ育った愛媛県松山市の北条という漁師町に戻りました。8年ぶりの地元は以前とほとんど変わっていないように感じている一方で、今の年齢になって解像度を上げて街を見てみると、新たに分かったことがたくさんあって驚いています」
–現在はどのような活動をしているんでしょうか?
長野さん「親戚が駄菓子屋さんを開いていた物件を活用して、イベントスペースやチャレンジショップができる施設を作っているところです。チャレンジショップは1日から、フィーリングが合えばいつまででもやってもらえたらと思っています(笑)。もし私が長期間お店を留守にする場合でも、そのままこのフロアを自由に使ってねってできる感じにしたいと思っています。
地元は大切な場所だと考えていますが、住む場所にこだわっていないんです。今のプロジェクトが落ち着けば、今後また仕事もプライベートで北九州に関わっていきたいです」
–大学進学と同時に北九州へ?
長野さん「北九州市立大学に入学と同時に北九州市に来ました。北九大を志望したのは、学費が安かったから。親から自立したいと思っていたので、学費を自分で払える大学を探しました。英語を学びたいという目標もありましたが、それよりも自活したい、という気持ちのほうが強かったですね」
–地元を離れたいと思った理由にはどんなものがありますか?
長野さん「当時は、地元のことを狭くて閉鎖的だと思っていたんです。 徒歩圏内に親戚が住んでいて、幼なじみがいて魚屋さんがあって飲み屋さんがあってというすごく狭いコミュニティで、 ずっとここにいたら何も知らないまま一生を終えてしまうのかもしれないと不安になりました。
一人っ子ということもあって、地元を離れることには大反対されたんですが、母親だけが好きなところに行きなさいと言ってくれて、地元を離れることができました」
–最初に北九州に来たときに感じたことはありますか?
長野さん「大学に入学してからすぐに地元の同級生や母校の先生から北九州は治安が悪いと聞いたんですが、実際にはそうでもなかったです。
街中で暮らすのが初めてだったので最初はびくびくしていました。小倉の方にアルバイトに行っていて夜中に帰るときもありましたが、酔っ払いが転がっているくらいでした。逆に酔っ払いが寝られるくらい平和な町なんだなと思いました(笑)。警察が夜間巡回をしていたので、それも安心材料でした」
–どのような学生生活を送っていましたか?
長野さん「大学時代はあまり勉強していなくて、海外に行くことばかり考えていました。
学割を使って安く海外に行くことができたので、アルバイトでお金貯めて海外行ったり、ワーキングホリデーに行ったりもしていました。
3年生のときに1年間休学して、9ヶ月間アイルランドに滞在していました。
アイルランドにいたときにはアイリッシュパブやゲストハウスで働いていましたが、言葉にならないような刺激と衝撃が詰まっていました。そのときは消化できませんでしたが、時間が経つとともにいつかこういう場所を自分で作りたい、という気持ちが徐々に芽生えました」
–アイルランドから帰国してからはどのように過ごしていたんでしょうか?
長野さん「2017年に帰国しました。タウンワークで、旦過にあるゲストハウスのタンガテーブルの募集を見かけてアルバイトを始めました。そこから北九州の楽しさにどんどん吸い込まれていった感じがします。
当時はアジア人のお客さんとの出会いが多く、充実した日々を送っていました。あまりに楽しかったので就活するのを忘れていたくらいです(笑)。
仕事を急いで決めてもしょうがないので、留年して翌年に就活しようかと思っていました。タンガテーブルで引き続き働かせてもらうつもりだったんですが、 門司港に新しいゲストハウスができるという話を耳にしました。ゲストハウスの代表の菊池さんにタンガテーブルで挨拶したことがきっかけで、「就職決まってないの?じゃあ門司港にくる?」と誘われました。そのままゲストハウス運営会社の社員になり、ゲストハウス『ポルト』のおかみのポジションに流れ着きました」