家族の病気がきっかけで「フードトレーナー」の道に
ーー「フードトレーナー」という職業を選んだきっかけを教えてください
みとまり「スポーツ選手に対してのお仕事をしたい、アスリートの力になりたい、とは高校生くらいのときから思っていたのですが、一番大きなきっかけは家族が血液の病気をしたことです。
そこから血液のことに興味を持ち、勉強をしました。このとき、お医者さんでもできないことは、もう自分でどうにかするしかない、と強く思いました。病気と診断される前から、自分の健康作りをきちんと意識していけばいいんじゃないかって考えたんです。
私は食べ物が好きだったのですが、食べ物を軸にアプローチしていけば、生活習慣やマインド自体も変わって病気の発症をとめることができるんじゃないかと考えて、血液に合わせた栄養指導、フードトレーニングを提供したいと思うようになりました」
ーーそのように考えるようになったのはいつくらいのことですか?
みとまり「20歳過ぎのことでした。学生のときからそういうスポーツ選手に対してアプローチしたいと思っていたので、医学の方向に行くことも考えたのですが、結局、大学で栄養や心理の勉強をしました。家族の病気のことが分かったのは私が21歳のときのことです」
ーー大学卒業後はどうされたんですか?
みとまり「1年半ぐらい企業勤めをして、ドイツやアメリカで研究機関や現場での修行をしていました。その後2014年に独立。起業してからは食に関する業者さん(門司港の中食業者さまにてご支援)とお仕事させていただきながら、選手のサポートと並走する日々でした。その頃は子どもも保育園に通っており、睡眠時間を削りながら働いていました」>
ーーかなりハードな日々を過ごされたんですね
みとまり「でもいま振り返ると、選手からも『フードトレーニングという栄養指導のさきがけだからすごい大変だったと思うけど、他の管理栄養士さんとは結果の出方も違うんで感謝している』などの言葉をかけてもらったりして、自分の考えを貫いて良かったなと考えています。
今でこそパーソナルトレーニングなどは珍しくありませんが、当時は認知も低く「占い師?」などと言われることもありました。
現在は、個々でトレーニング等をすることにステータスを感じていただける時代になってきたこともあり、追い風が吹いているようには感じます」
ーー今、みとまりさんと同じような活動をされている方ってどのくらいいらっしゃるんですか?
みとまり「血液栄養をベースに結果を出すための栄養指導をパーソナライズして提供している人は100人もいないんじゃないかと思います。食事全体のサポートや遠征のときのホテルの食事をディレクションをする先生はたくさんいらっしゃると思います」