その日は小倉城竹あかりが開催されていて、朝からバタバタしていた。仕事がひと段落ついた夕方、以前から気になっていた写真展が最終日だとお客さんから聞いた。何とか間に合いそうだと思い『祈り・藤原新也』展へと走った。北九州市立文学館と北九州市立美術館分館の2会場同時開催だったため時間は限られていた。
写真、文筆、絵画、書などで幅広く活躍する藤原新也。藤原の本と言えば『メメント・モリ』を、以前北九州文学サロンの無料コーナーで手に取ってから、そのままずっと手元に置いていた。ラテン語で「死を想え」を意味する言葉をタイトルにした本は、写真と短い言葉で構成されていた。
文学館では彼の人生について説明されていた。明治23年生まれで、99歳で亡くなった藤原の父は、戦後は門司港に旅館を構えて成功したが、門司港の衰退とともに没落して破産した。その父親が亡くなる瞬間を藤原は写真に収めており、臨終の瞬間に父親が見せた笑顔を撮影している。どんな気持ちでシャッターを切り続けたのだろうか。自分が写真を生業にしていたら、そのシャッターが切れただろうか。そんなことを思いながらも、閉館時間の迫っている美術館分館へと急いだ。
こちらは藤原の作品群といった雰囲気だった。巨大な写真や書が目を引いた。生と死の狭間のような写真が並ぶ。「死を想え」そんな言葉が頭をよぎる。閉館間際で誰も見えなくなった展示会場に、ひとり取り残されたような気持になった。圧倒された私は、大きな写真の前にあった椅子に腰かけて、会場全体を眺めていた。
そこに小さな赤ん坊を胸に抱いた母親と、荷物をのせたベビーカーを押す父親がやってきた。夫婦で会話しながら、少し足早に会場を巡る家族。
その赤ん坊が突然大きな声で泣き出した。母親が「すみませんすみません」と謝るので、私は「元気でいいじゃないですか」と答えた。夫婦は頭を下げながら出口へ向かった。私はまだ泣き声が響く会場で本当にひとりになった。涙が流れた。写真展の最終日、最後の来場者である私は泣いていた。
少し泣いたあと、目の前の大きな写真を見上げた。そこに「死」はなかった。涙で、目の曇りが流されたように思った。写っていたのは「生」だった。生きている人間や動物が写っていた。人間も動物も生命力にあふれていた。死を想うことができるのは私たちが生きているからだ。
閉館を告げる音楽が流れ、私は腰を上げ出口へ向かった。シャッターを閉めるのを待ってくださったスタッフの方にお礼を伝え、竹あかり会場の方へと戻った。
日が暮れて多くの灯りで小倉城は照らされていた。何万本もの竹灯籠は、この小倉城という場所で生きて、そして亡くなった人たちを慰めているのかもしれないと思った。そしてそれは、今生きている人たちの光なのだと思った。竹あかりの光がぼやけて見えて、またはっきりと見えるようになった。
作者:中川康文さん