モノレールと私と市場 《第2回エッセイコンテスト優秀賞》

 婚して北九州に住んで5年が経った。まだ夫と付き合っていた頃、私は博多に住んでいて、週末は、小倉に住んでいた彼へ会いに通っていた。

初めて北九州に来た時、小倉駅から平和通りに抜けると、居酒屋へ誘うキャッチが多く、少しガラの悪い印象だったことを覚えている。段々と小倉に通うようになって、小倉から走るモノレールはなかなか便利で、交通手段に不便はなく、意外と住み心地がよく感じていた。三萩野駅周辺に住んでいた彼の家の近くには黄金市場があり、遊びに行った時は、市場へよくお酒のつまみを買いに行っていた。市場の商店街では昭和歌謡が流れていて、シャッターが閉まっている店舗が多く、少し寂しい印象だった。人通りもまばらだが、お店の人たちは気前がよく、見慣れない私にも値引きをしてくれたり温かかった。なんだかノスタルジックな気持ちを抱く商店街だったが、新鮮なお刺身や美味しいお惣菜を、安い値段で手に入れることができた。北九州という存在は、私の中で少しずつ存在が大きくなっていたように思う。

結婚してから本格的に北九州に移り住んだ時、毎週のようにモノレール沿いに飲みに出掛けていた。たまに家で過ごしたい日は、市場に出掛けては新鮮なお刺身を買って、お肉屋さんで揚げたての唐揚げを買って、酒屋ではお酒を買って、家でも楽しく過ごすことができた。

そうこう過ごしているうちにあっという間に結婚して3年が経ち、4年目の春、私に癌が見つかった。「若い人なので進行が速いです。すぐに抗がん剤を始めましょう。」モノレール沿いの病院で言われた一言だった。いつもはモノレールで帰るのに、その日は家に帰りたくなくて、30分かけて歩いて家まで帰った。桜が咲き乱れる4月、綺麗な桜色は、私には無色に見えた。

これからのことを考える余裕はなく、あっという間に治療が始まった。あっ!、という間に髪は抜け、あぁ、という間に生活は変化した。週末はいつも一緒に晩酌していた夫はなんだか少し無口になり、私も少し無口になった。いやそもそも、お酒を飲んでいない私たちは元々無口だった。

治療の日はいつもモノレールで病院まで通った。雨の日も風の日も、なんだか気が乗らない日も、モノレールはいつも定刻通りに私を迎えにきて、沿線すぐそばの病院へ連れていってくれた。病院で治療するだけの辛い人生なんて、生きててもしょうもないじゃん。なんて、卑屈に考えた時期もあったが、治療後はすぐそばの旦過市場で買い物ができ、初めはきつい治療に行くだけの時間が、買い物のおかげで段々と楽しみに変わっていった。おかげで病院に行った日の夕食は、色とりどりの、まあ豪華なものだった。おでん、キンパ、ぬか打き、新鮮なお魚・・・。治療のせいで食欲がなかった日も不思議と旦過市場のカラフルなキンパだけは食べることができた。そのせいかきつい治療で減るはずの私の体重は、そんなに減ることはなく、減ったのは自分の髪の毛だけだった。むしろ食べ過ぎで体重は増えてしまい、夫も、私の買ってきた食事と晩酌で体に豊富な脂肪を蓄えた。美味しい食事があれば私たちに会話はそれほど重要ではなく、旦過の食事は、彼と一緒に過ごす時間に彩りを添えてくれた。

市場で買うものは私に活力を与え、彼には脂肪を与えた。なんだか不思議な闘病記。そこに悲壮感はなく、「今」という時間に「食」の楽しみを与えてくれた。今はただ、美味しい食事で一緒に過ごす時間が愛おしい。

食べることは生きることと言うが、私にとっては、食べることは活きること。市場に並んでいるものは活きがよくて、おかげで私も活きがいい。いつの間にか北九州に生かされてる私で、ここからどうやら抜け出せないようだ。

至る所に点々とある、北九州の市場。交通手段はモノレールでぐるぐるぐるぐる。私の食への探究心は奥深く、活きている限り、いつまでも終わらない食の旅が続けられそうだ。

作者: