エッセイコンテスト「第1回 キタキュースタイルカップ」 入選作品
元々、パタンナーの仕事に憧れていた若い頃、小倉のアパレル業界で10年以上仕事をし、その後ご縁があり小倉の老舗百貨店の井筒屋で2年間仕事をした。
新入社員として働き始めてから、今の場所にたどり着くまでに4回職場が変わったのだが、どの仕事場も小倉北区魚町。そして今の職場も小倉の魚町商店街にある。
4回仕事場を変えているものの、魚町から出ていく事がなかったというのは、偶然なのか必然なのか。20代前半から現在50代の前半の30年近くの長い時間を過ごしてきた事になる。
生れた地元よりも長い事生活し、一番楽しい時間を過ごした魚町は私にとっては、「ほぼ地元」であろう。
20代後半に市政だよりにあった市の青少年課の事業の、まちおこし活動を行うメンバー募集に申し込み、活動に参加することになった私は大いにのめり込んだ。昼は仕事、夕方からはこの活動に燃えていた。
いとうづゆうえん(いとうづの森公園の前身)の閉館時に園内を回遊するイベントを行ったり、井筒屋の紫江‘Sでのチャイナドレスコンテストに参加したり、ラブ・フィッシングと銘打って大婚活パーティを開催したりと、毎日まちおこしという名の「お祭り」をやっていく中でたくさんの人と出会い、楽しくもあり、時にはつらいこともある、さまざまな経験をさせてもらう日々を送った。
2001年に八幡のスペースワールド前を会場とする、『北九州博覧祭2001』に参加すべく、団体として企画を持ち込んだが通らず、その内容の一部である小倉発祥焼うどんをテーマにした企画を、井筒屋の新館と本館の間のクロスロードで行うことになった。
この『焼うどんバトル~発祥の名にかけて~』というイベントが、私の人生を大きく変える事になる。
市民に参加チームを呼びかけ、出場団体をレシピで選考し、3つの団体で優勝を争う食べ比べイベントは、大いに盛り上がった。数社の地元メディアにも取り上げていただき、今でもこの時の資料は大切に保管している。
このイベントをきっかけに、魚町の商店街の皆様と知り合うことができ、毎年の冬の風物詩『小倉 食市食座』にも関わっていくことになる。
今思えば、動くことで次の扉がどんどん開いていった時期だった。ただただ仲間と一緒に新しい事、面白い事を形にしていくことが楽しかった。
そんな中「焼うどん」の次のイベントを考えていた時、本職の焼き手を探していた私は、魚町の重鎮に相談をした。その時白羽の矢が立ったのが、お好み焼き屋をしている今の旦那だった。
女子3人でお店に乗り込み、イベントに参加して欲しいと懇願した私たちに、彼は何故か二つ返事でOKを出してくれた。
後日聞けば、一回目の焼うどんのイベントの成功をテレビで見ていて、自分も参加したかったとウズウズしていたとの事だった。
その後、この若きお好み焼き屋の店主を巻き込み、更なる大きなイベントを小倉の町で仕掛けていった。
静岡県富士宮を本拠地とする「富士宮やきそば学会」との対決イベント『焼うどんバトル特別編~天下分け麺の戦い~』は、北九州市民を巻き込む大イベントとなり、大成功を収める。400人を対象にしていたものの、1000人以上の人が集まり、会場となっていた小倉城は人で溢れていた。中央から来たテレビ局からの取材やメジャーな雑誌、新聞記事の取材などなど、沢山のメディアに取り上げていただき、大いに盛り上がった。
思い出せば、当時の活動を温かく見守ってくださった町の方々、企業の方々、役所の方々、関わって下さった全ての皆様に感謝の気持ちでいっぱいになる。ほぼ勢いで進めていったこのイベントは、間違いなく自分の人生の大きな分岐点であり、大切な思い出である。
イベントが終わり、帰り道、どちらからともなく次の約束をし、今の旦那との交際へと発展していく。
少し時が過ぎ、なかなか進展しない私たちを見かねた魚町商店街の呉服店のご主人が、毎年1月10日に行われる『十日えびす』に参加した着物姿の私と旦那のツーショットを撮影できるように手はずを整えてくださったことがある。「結婚しないのなら、写真だけでも、、」と。ぎこちないカツラ姿と着慣れないスーツの2人の写真は、見返すたびに笑いが出る良い思い出だ。
数年後、戸畑にある旧松本邸で結婚式と披露宴を行い、商店街の皆様もたくさんお祝いにかけつけて下さった。「焼うどんソング」を歌ってもらったり、庭園で焼うどんを焼き、振舞ったりと、型破りの披露宴ではあったが、参加者の方々には楽しんでいただけたと思う。
振り返れば、沢山の経験、沢山の思い出が小倉の町、この北九州で出来た。今、現在ご縁をいただき、小倉魚町の商店街の中で仕事をしている。
巨大な街ではないけれど、平凡な人間でも努力すれば自分が主役になれる町。私はこれからもこの町と関わっていくだろう。そして、町に関わる人たちが「ここに来て良かった」と思える場を作っていきたいと思う。
生れた町ではないけれど、いつの間にか「ふるさと」になったこの町で。
作者:向井 まいこさん