エッセイコンテスト「第1回 キタキュースタイルカップ」 入賞作品
私は30年以上北九州市に住んでいるにもかかわらず、最近までこの街が嫌いだった。その理由は、北九州のイメージが悪さや突出した魅力に乏しいということも確かにあった。しかしそれよりも北九州市の「ほどよく都会、ほどよく田舎」というキャッチフレーズが残念で嫌だった。私には、北九州市は良くも悪くもまあまあだという中途半端なものに聞こえていた。
しかし今では、北九州市が好きになった。そして、むしろこの中途半端こそがいいところだと思っている。また今では、北九州市の中途半端じゃない突出した魅力も発見することができた。そして北九州市を好きになったのは、北九州市に住むことで、自分らしい人生を可能にする+αを持つことができると思うようになったからだ。
北九州市への認識が変わったのは、3年前に実家のある若松区から小倉南区に引越したことがきっかけだった。大学時代以外若松区の実家に暮らしていた私にとって、小倉南区で自分の力で生活することは、大きなチャレンジだった。実家ではスーパーへ行くのもおつかい程度で、移動も基本的に車だった。気になる店ができてもわざわざ行くこともなく、自分の住んでいるところについて新しく調べるということもなくなっていた。毎日の生活には困らないと思う一方で、物足りなさや中途半端さに不満も感じていた。
しい生活がはじまってから、私の生活や行動のパターンが一変した。例えばスーパーもその日の目的に合ったところを選び、自転車や電車、バスを使って移動した。自分の力だけで生活する中で、物価を安さや交通の利便性の良さなどを新鮮に体感していった。また引越ししたことにより新しい人間関係も生まれた。その仲間とランチやドライブに行くことも増え、北九州市について調べたり教えてもらったりすることも多くなった。そうやってどんどん北九州市の独自の魅力を知るようになったのである。また新しい視点で街を見ることで、実家のある若松区の魅力を再発見することができた。
たくさんの発見の中でも私が北九州市好きになった理由は、大きくふたつにまとめることができる。ひとつめは便利であること、そしてふたつめは自分の住まいを拠点に自由な活動ができることだ。
北九州市で生活するのはとても便利だ。一つのエリアでスーパーや日用品、ホームセンター、家電量販店など必要なものが揃う場所が市内にいくつもあり、その場所へのアクセスはとてもいい。また買える商品のほとんどが量産型の市販品で、標準もしくはそれ以上の品質を持つ。そういう商品がいつでもすぐ買えるというこの環境は、とても便利だ。また買い物だけではなく、近所の整備された公園に気分転換や運動に気軽に出かけられることも、便利と言えるひとつの要因でもある。
そしてこの便利さは、私が否定的に捉えていた「ほどよく都会、ほどよく田舎」の街だからこそ実現できることだと気付いた。都会のように駐車場探しに困ったり100均ショップのために遠出したりすることもない。または田舎のようにスーパーへ着くまでに時間がかかり、その店でも必要なものが揃わないということもない。この便利さが都会にはない良さ、田舎にはない良さなのだということを実感した。
私が北九州を好きになった次の理由は、自分の住まいを拠点に自由な活動ができることだ。これは北九州市の突出した魅力であるとも思う。日常生活は便利である一方、例えば買い物においては、スーパー品質や市販のものでは満足できないことも多い。しかし北九州市に住むことで、少し足を伸ばせば、より都会的なより田舎的なディープな場所やこだわりのあるものにもすぐアクセスできる。北九州市の独自性や地理的環境が、便利で安定した自分の住まいを拠点に、自分のこだわりを叶えより充実した生活を可能にしてくれているのだ。
例えばスーパーではなかなか買えないものは、市内の新鮮な野菜や魚の直売所に行くことできる。こだわりのパン屋や、美術館やきれいな公園やキャンプ場など北九州市には魅力的な場所が本当にたくさんある。また市外へのアクセスも抜群だ。小倉駅から博多駅までは約15分、別府駅までは1時間10分、東京やソウルへも日帰りできる。
便利で住みやすい街は、きっと全国どこにでもあるだろう。しかし私にとって北九州市にしかない突出した魅力だと思うことは、今住まいを拠点として、こだわりを求めて行きたい場所へ(それが市内でも市外でも)すぐ行けるという自由さだ。
私が北九州を好きになった理由は、便利な生活ができること、そしてこの場所を拠点に自由な活動ができることだと述べてきた。実はこのふたつの関係に、私が人生で最も大切にしたい+αが隠れている。+αとは簡単にいうと、自分が自由にできる時間、つまり自分の人生を豊かにするもののことである。便利な生活の最大の利点は、時間の短縮だ。そして時間が短縮できたことによって、自分の時間をより持つことができる。そしてこの時間で私がしたいことをすることで+α=人生の豊かさを実現する。それはこの場所を拠点にいつでも自由に移動し自由に活動することで可能になるという考えだ。
20代のころは、より刺激的なものや変化のある都会に+αを求めていたと思う。しかし30代になって、自分が人生に求めるものや自分らしさというものがだんだん見えてくる中で、自分は都会的でも田舎的でもない便利な生活が合っていると思いはじめた。そして求めれば、都会的なものも田舎的なものも得ることのできる自由さを大切にしていきたいと思うようになった。今の私にとっての+αは、好きなときに好きなところに行ける自由、例えば自然や美術館、おいしい店、おしゃれな店、あらゆるもの私がこだわりたいものを充実させることだ。この+αを豊かにしてくれるのが、まさに北九州市なのだ。
この考えに至るまでにはとても時間がかかった。それは北九州市での生活を内からではなく、外から見ていたからだと思う。外から見る北九州市の姿は、都会でも田舎でもない中途半端なイメージや、広告や全国ニュースなどから形成されたイメージだった。
しかし自分の力で生活して、北九州市を内から見て実感をもって好きになれた。初めて北九州市に住んだくらいの発見の日々だった。そしてこの北九州市に住むことで、これからもさらに自分の人生において大切にしたい+αを豊かにしていきたいと思っている。
これからこの北九州市が発展することも大切だがそれより、これからも今あるいいところを維持してほしいと思っている。今ある文化や歴史、自然だけでなく、道路や交通にとったインフラ的なもの、またきれいで使いやすい公園がいくつもあることなど、便利で安定した基盤のある北九州市を維持してほしいと願っている。
これから時代と共に、その土地に住むことで得られるステータスにこだわらず、また会社と家が物理的に近くなくてもいいという考えへ変化が起こるかもしれない。その時代において、便利で安定した住まいを拠点として自由な活動ができる北九州市の魅力は増していくのかもしれない。
友だちに対して北九州市に遊びに来てもらうのは申し訳ないという気持ち、自分が生まれ育った街なのに嫌いだと思ってしまううしろめたい気持ちからやっと解放された。今は深い実感と共に、素直に北九州市が好きだと思っている。そして胸を張っていろいろな人に、北九州市がいい街だと伝えたいと思う。
作者:カメサンポさん