煙突の煙とキラキラの夜景【エッセイコンテスト 入選作品】

エッセイコンテスト「第1回 キタキュースタイルカップ」 入選作品

私は世界に誇るキラキラ輝く北九州市の夜景が大好きです。
特に好きなのは洞海湾を囲む工場郡のキラキラ輝く景色です。

私は八幡東区の坂と階段ばかりの町で生まれました。
昭和40年代
まだまだ貧しい家庭が多かった時代です。
父は北九州工業地帯の中のプレス工場で働き、母は坂と階段ばかりの町で乳酸飲料の配達のパートをしていました。
当時は車を運転する女性が少なく母も運転免許証を持っていなかったため、徒歩で配達する母に幼い私と妹は付いて回っていました。
私は4才妹は2才位だったと思います。
まだまだ2人きりでお留守番は難しかったのでしょう。
階段をたくさん登らないといけないときは母だけが登り、私と妹は階段の下で母が降りてくるのを待っていました。
幼い姉妹が階段の下で母を待っている様子はすごくかわいそうだったらしく、たまたまそこを通りかかった祖母が母が階段から降りてくるのを不安げに手を繋いで待っている私と妹がとてもかわいそうで涙が出たと亡くなるまで会う度にずっと言っていました。

これも坂と階段ばかりの町ならではの思い出話です。
そういえば祖母は工場地帯の中で定年まで勤めあげたキャリアウーマンでした。

今でもその乳酸飲料を飲む度にこの事を思い出し、貧しい中一生懸命働いて育ててくれた父と母に感謝をしています。
坂の中腹にある家で、妹や近所に住む従姉妹と庭先で砂遊びやままごと遊びをしながら毎日、洞海湾を囲む工場郡を見ていました。
この景色を見て私は育ちました。
幼い頃の写真にはそのどこかに階段や坂道が必ず写っています。

昼間は工場のえんとつから出てくる煙を見て今日は風がこっち向きだ、とか
今日は風が吹いてない、とか思っていました。
夜はまだまだ自宅にお風呂場がなかった時代です。
母と妹と銭湯に行った帰り道、息を切らし坂と階段を登りながら後ろを振り返りキラキラ輝く工場郡の夜景を見るのが大好きでした。
その後、八幡西区に引っ越しそこでも毎日、三菱化成(当時)の赤白のえんとつを見て、風の向きや風の強さをチェックしていました。

大人になり戸畑区の会社に勤めた私はある日、ビルの最上階から洞海湾の夜景を見てふと懐かしい感じに包まれました。
「あっそうだ!子どもの頃に毎日見ていた景色だ!」と窓から見える懐かしい景色に胸が熱くなりしばらく眺めていました。
ずっと見ていなかった大好きな景色でした。

結婚してから夫の転勤等で北九州を20年ほど離れました。
宗像市や福岡市、熊本市
北九州を離れて住んだ町はそれぞれに美しい町ばかりでした。
工場のえんとつのない町でした。

北九州へ帰省する時は遠賀川を渡ると皿倉山や帆柱山が見えてきて北九州へお帰りなさいと言ってくれてるような気がして嬉しかったです。
遠賀川を渡り、皇后崎から黒崎、八幡にかけての工業地帯のたくさんのえんとつが見えてくると嬉しく嬉しくてわくわくしました。
大好きな工業地帯の景色です。

北九州工業地帯。
小学生の頃は社会科の教科書にも出てくる有名な工業地帯。
昔は汚かった洞海湾も今ではきれいになり、たくさんの生き物が生息しています。
北九州の空気も水も今はとても美味しいです。
50才を過ぎた今、やはり私は昼も夜も工業地帯を見るのが大好きです。
工業地帯の何時でも変わらない景色がいつも私の人生の中にあります。
常に私の人生の中にある大好きな故郷の景色です。

今は小倉南区に住んでいるためなかなか工業地帯を目にできませんが、八幡西区の実家から都市高速を走っているときに助手席で見る北九州の夜景が楽しみでたまりません。
工業地帯は夜も眠らないので北九州の夜景は本当にきれいです。
日本中、いや世界中の人に見てもらいたいと思います。
この景色の美しさを
どんどんアピールしていきたいと思っています。
北九州の夜景の建物や工業のキラキラの数がこれからもどんどん増えていくことを願ってやみません。

またいつか坂と階段ばかりの町へキラキラ輝く洞海湾を囲む工場郡の夜景を見に行きたいと思っています。

作者:木原 美紀さん