エッセイコンテスト「第1回 キタキュースタイルカップ」 十亀酒店賞受賞作品
数年前まで、北九州のことは“なんとなく”好きだった。
小倉の街に出れば、デパートや駅ビル、商業施設から個人商店まで適度に揃っており、ほしいものは一通り手に入る。
しかもコンパクトにまとまっているので、街を端から端まで歩いて隅々まで見ることができる。
他店と比較して買うのに往復するのも苦ではない距離感なので、優柔不断な私には打ってつけ。
そして自然も近い。
南区に行けば雄大なカルスト台地が広がる平尾台、若松区にはサーファーも集う岩屋の海。
新日本三大夜景にも輝いた皿倉山に登れば100億ドルの夜景が見られるし、九州と本州を結ぶ関門海峡は潮流が激しく迫力満点で、何度行っても見飽きない。
山も海も川も滝だって、適度に散らばっているので癒されたいときにパッと行きやすく、街と自然のバランスが良い。
そう、全てにおいて“ちょうどいい”北九州。
でも。
ちょうどいい、適度、はつまり飛び抜けていないってこと。
なんとなく好きだけど、全世界に全力で自慢したいか、というと、そこまでの情熱は持てていなかった、ほんの数年前までは。
そんな“なんとなく”北九州を好きだった私がなぜ「大好き!」になったのか。
そのきっかけは、数年前のある日、突然訪れた。
私には、応援している北九州のミュージシャンがいる。
北九州で活動しているので知る人ぞ知る、といった感じで当時の私の友人たちには残念ながらそのミュージシャンを知っている人がいなかった。
ゆえに、毎回勇気を振り絞って一人でライブに足を運んでいたのだが、その日はそんな私を気遣って、ライブ後にスタッフさんが声をかけてくださったのだ。
「このあと打ち上げがあるんですけど、来ませんか?」
う、打ち上げ・・・!!??!??!
当時の私にとって、そのミュージシャンはたとえ一人でもライブに行くほど大好きな、憧れの存在。
そんな人の打ち上げに?私が・・・!??
混乱しつつも、そして一人で震えそうになりながらも、私は腹をくくっていた。
不安や心細い気持ちよりも、そんな場所に誘ってもらったこと、自分がその空間に行けるという奇跡のような喜びの方が優っていたのだ。
私は意を決して、打ち上げ会場に足を踏み入れた。
会場は近くの焼き鳥屋さん。
なんとなく4つくらいのテーブルに分かれ、打ち上げは始まった。
いざ足を踏み入れたものの“ライブの打ち上げ”なんていうとパリピのような派手な人や大騒ぎする人がいるんでは、と戦々恐々だったのだが、蓋を開けてみれば、一人でなんだかさみしそうな私にも話を振ってくれる、ただただやさしい大人たちがそこにはいたのだった。
初めましてで得体の知れない私をも話の輪に入れてくれるだけで十分嬉しかったのだが、さらなる奇跡は起きた。
同じテーブルにいた人が、「せっかく同じテーブルになったんだから、このテーブルのメンバーでまた飲みに行きましょうよ」と提案したのだ。
みんな酔っていた。ライブのあとでテンションも上がっていた。
だから、私自身は奇跡に奇跡が重なって舞い上がってはいたが、心のどこかで『これは社交辞令かも知れない』と予防線を張っていた。
だが、その人は後日きちんとみんなの日程調整をしてくれ、数日後にはもう一度同じテーブルだったメンバーが集ったのだった。
しかも、それ一度きりではなく、二度、三度とその会は続いた。
そして会の度にさらに知り合いを連れてきてくれたり、別の会に誘っていただいたりして、私はその日を境に、怒涛の勢いで北九州の知り合いが増えていくことになる。
そもそも、その会に来ていた人たちはお店をしている方やデザイナーさん、雑貨やアクセサリーの作家さんなど、今まで出会ったことのない人たちが多かった。
北九州にもこんなクリエイティブな人がいるんだ!あの憧れのお店の人とまさか知り合えるなんて!
私は楽しくて仕方なかった。
出かける度に、いろんな刺激的な人と出会える。
それまで、おしゃれで素敵な人たちはおしゃれで素敵な人たちしか受け入れないのでは、という偏見があった。
しかしむしろそういう人たちの方が、屈託なく、分け隔てなく、すっ、とスマートに受け入れてくれた。
避けていたのは自分の方だった、ということにも気付かせてくれた人たち。
そんな素敵な人たちにはどうしても会いに行きたくなる。
必然的に、展示会やマルシェなどのイベントに行く機会が増えた。
そこでまた北九州の素敵なお店や興味深い活動をしている人に出会う。
足を運ぶ、新しい出会いが生まれる、そのくりかえし。
気づけば、私は北九州のことが大好きになっていた。
こんなに自由で、自分らしく、心底楽しそうに生きている人たちがいる街だったとは。
逆に言えば、暮らしている人たちというのは、その街を映す鏡でもあるのだと思う。
今までは自分のフィルターでしか見れていなかった北九州という街が、“人”を通して、個性的で、親しみやすく、味わい深い印象にどんどん変わっていった。
私にとってなんとなく好きだった街は、はっきりくっきりと色を得て、輝いて見えるようになったのだ。
*
北九州が大好きになった今、北九州のどんな場所も、出会う人たちも、すべて愛おしく感じる。
行きたいところも会いたい人も多すぎて埒が明かないので、街ごと抱きしめられたらいいのに、とちょっと本気で思っている。
作者:megumiさん