2022年からプロ野球独立リーグ「ヤマエ久野 九州アジアリーグ」に参入している福岡北九州フェニックスの選手インタビュー・第8回は櫻井 政利投手(背番号21)。
櫻井投手は1996年生まれ。東京都大田区出身。2013年、修徳高校(東京)2年時に第95回全国高等学校野球選手権大会に出場し勝ち投手に。同年秋には東京国体で優勝を果たします。クラブチーム・ハナマウイに所属していた2020年には第91回都市対抗野球大会に出場。2022年に福岡北九州フェニックスへ入団しました。
–開幕して約2カ月が経ちました。振り返っていかがでしょうか?
櫻井投手「社会人野球から独立リーグにきて、両者の違いに最初は戸惑いました。結果的に抑えてはいたのですが、納得はしていません。独立リーグの野球にも慣れてきたので、ここからは自分の力を100パーセント出せるように頑張りたいと思います」
–フェニックスに入団したきっかけを教えてください
櫻井投手「目標はプロ野球(NPB)の選手になることなのですが、これまでにNPBのテストなどの縁がありませんでした。このまま終わるのも悔いが残ると思い、NPBのスカウトに見てもらえるチャンスを増やすために独立リーグのチームに行こうと決意し、フェニックスのトライアウトを受けました」
–西岡監督ってどんな方ですか?
櫻井投手「小学校のときからゲームで使っていた選手なので、少し戸惑いもありましたが、会って話してみるととてもフレンドリーな方でした。オンとオフがはっきりしている方だという印象です」
–櫻井投手の背番号21はどのように決まったんでしょうか?
櫻井投手「自分で選びました。福岡ソフトバンクホークスの和田投手や横浜DeNAベイスターズの今永投手のように、左のエース=21番というイメージが強いので。都市対抗野球に出場したクラブチームのハナマウイ時代も21番だったので思い入れのある番号です」
–九州でのプレーに不安はありませんでしたか?
櫻井投手「不安は正直ありましたが、母校の修徳高校OBで広島東洋カープの玉木 朋孝コーチの『野球を本当にやりたいならどの場所に行っても関係ないと思うよ』という言葉を聞いて不安がなくなりました。
ただ、これまでは知人のいるチームに声をかけてもらう形だったので、トライアウトでの入団が初めてなんです。知り合いもおらず、最初は誰と話せば良いか分からなくて戸惑いました。
ある日、瑛斗(塩満 瑛斗投手)に、「櫻井さんって、あの修徳の櫻井さんですか?」って話しかけられました。自分のことをテレビで見たことがあったそうです」