目でシャッターを切る 《第2回エッセイコンテスト優秀賞》

小学生の頃に転校をしてから、高校を卒業するまでの間、田舎に住んでいたと思う。

「将来は都会に住む!」

そう思って、学生生活は関西で過ごした。その間に、実家が北九州になった。

行ったこともないのに、「関西の方が絶対にいいやん!」という、都会へのこだわりみたいなものがあった。

卒業後、希望に満ち溢れて入ったはずの会社をすぐに辞めた。再就職先も決めず、逃げるようにして、実家のある北九州で暮らしはじめた。

このときはじめて、北九州に来た。地元でもない、家族以外の知り合いもいない、知らない場所で、暮らしはじめた。

住むのはきっと、ほんの少しだけ。

そう思っていたのに。今もこうして住んでいる。

通勤に片道一時間かけても、北九州に帰ってくる。正直、福岡市の方が都会だと思っているけれど。

北九州は、なんかいい。

好き、というより心地がいいのか。

電車の外が、駅に近づいてくると、ほっとする。

なんというか、おでんのだしみたいな。スープを飲んだ時みたいな。そんな感覚かもしれない。

二階へ続く階段をのぼると、ベランダのガラス越しに皿倉山が見える。

晴れた日の、青空に映える濃緑。雨の日の、雲をうっすら纏う姿。夜、空の下に浮かぶ、ケーブルカーの灯。

ひどく落ち込んだ日、駅に向かういつもの道を歩きながら見た空は、水の波のような雲が広がる、オレンジ色と青色の朝空だった。

写真に残そうと思ったけれど、うまくいかない。

写真で切り取ろうとする世界は、自分の目に映る世界とは違う。なら、この目でシャッターを切る。

北九州に暮らしはじめると、そういう瞬間がたくさんある。

赤々とした、夜の若戸大橋を渡っている瞬間は、毎回気分が高まる。高塔山から見る夜景は、澄んで見える気がするから、冬の方が好きだ。

車で海に行って、シーグラスを探し、潮風にあたりながら見る海の青を好きになった。

初夏に行った鍾乳洞は、夏なのにとても寒かった。まるでゲームにでてくる世界に来たのかと思ったし、空気が澄んでいるとは、こういうことなのかもしれないと思った。

ネモフィラが広がるグリーンパークを歩く。フリスビーをしたり、バラ園を見た。お花を見て、感情が動いた。

平尾山で、白い息をはきながら、見上げた星は、こどもの頃にみた星より綺麗だった。

お正月の前は、旦過市場を、両親と並んで歩いた。狭い道を、少し気をつけて歩きながら、右にも左にもあるお店をみては、立ち止まる。母が作るおせちには、旦過市場の食材が使われている。うちでは、カナッペが定番で、これをきっかけに私も好きになった。まわりはサクサク、中はふわっと。胡椒の塩気がくせになる。

最近は、一人で歩いて、自分の好きなお店をみつけた。自分の行きつけができたのは、北九州がはじめてだ。突然、タイムスリップしたような、鳥町食道街を歩くのも大好きだ。

たしかに、北九州を好きな自覚はある。

きっと、好きが増えていくこのまちで暮らす自分も好きなのだ。

そういう場所が、今日を頑張る理由にもなる。

わたしを形成してくれる。

写真に残すより、この目でみていたいと思う。それがわたしにとっての北九州だ。

たとえかたちがなくても、いつだって鮮明に再生できるから。

今日も、窓から、皿倉山がよく見える。

作者:Saiさん