山笠に心躍らせた夏【エッセイコンテスト 旅道具と人-HouHou-〈ホウホウ〉賞受賞作品】

エッセイコンテスト「第1回 キタキュースタイルカップ」 旅道具と人-HouHou-〈ホウホウ〉賞受賞作品

ヨイトサ、ヨイトサー

就職してはじめての夏。先輩とお決まりの居酒屋へ寄るのは定番で、メニューにない料理を出してくださる気前のいい大将の人柄が好きで常連になりつつあった。休日前のこの日も遅くまで語り明かした。
朝方クーラーのタイマーが切れたことにも構わず、喉の渇きを覚え虚ろ虚ろに目を開けた。コップ一杯の水を飲んではまた布団へ戻り、汗ばむ身体はひんやりとした部分を求め布団の上を転がっていた昼下がり。夢と現実の狭間で、かすかに太鼓のような音が聞こえてくるような気がした。少しずつ大きくなる音に耳を弾ませながら、窓の外をのぞいた。何処からともなく確かに聞こえてくる太鼓や「ヨイトサ、ヨイトサー」と呼応する威勢のいい声が。これが戸畑祇園山笠なのだろうか。

本番はおろか、なかなか見れないかもしれない。職業柄、いつ異動が出てここを離れなければならないかわからない、そう察した私は朝食も忘れ、部屋に干していたTシャツを剥ぎ取りクローゼットから目についたデニムを取り出しては早々と着替えた。寝坊し一刻を争う朝のようなスピードで化け、鍵と財布、携帯電話をポーチに詰め込み一眼レフを首から下げ飛び出した。音の聞こえる方向を聞き分けながら、チェーンが鈍い音を立てる自転車を猫も驚く速さでこいだ。静かな路地から大通りが見えたとき、一方向に走る法被姿の人がちらほらと見える。家で聞いた音がすぐそばにあると確信した。

大山笠の舞台となる区役所前の大通りへ出ると、少し離れた場所に法被姿の人たちの後ろ姿が見える。ちょうど近くでその光景をお孫さんと眺めている男性に聞いてみると、「今日は本番を目前に中学生が担ぐ山笠の練習をしているんだよ」と教えてくださった。中学生が担ぐ山笠もあるのかと興味深く聞いていると、「この孫も小学生以下のこどもが担ぐ山笠に出るんだよ」と大人だけでなくそんなに小さな山笠もあるのかと驚いてばかりだった。にこにこと話す男性と似たやわらかい表情ながら大人顔負けの法被姿のお孫さんを見ると、少し大きな山笠を担ぐお兄ちゃんを見る丸い目は、未来の姿を映しているかのようにキラキラしていた。祭りや山笠のない環境で育った私にとっては、目新しくこどもの頃から大人たちと祭りに出られる環境のうらやましさと継承、情緒のすばらしさに触れ、ますます本番を生で観てみたいと気持ちを膨らませた。何かに出会えそうな直感に、この足でまちを回ってみることにした。

散策を始めると、歩道に設置されている車止めが戸畑祇園山笠の形をしていたり、商店街に山笠が入るように高く設計されていたりと、はじめての道を辿ると新たな発見やまちの面白さに出会った。法被姿の人が行き交う光景も風情があり戸畑の夏を象徴する祭りなのだと二日後の競演に心が躍った。

そして戸畑祇園大山笠競演当日。まだ日が明るい時間から普段の区役所前とは思えない、多くの人でにぎわう浅生通り。歩道で密集し始める人の間にカメラを構えていると、目の前に豪華絢爛な幟(のぼり)大山笠が現れた。さらに暗くなるとともに何やら装飾が取り外されていく。一体何が始まるのだろう。ただ見とれていると、ローソクの灯りが揺らぐ提灯が重ねられていくではないか。息を飲み見守る観衆の前で、何度も提灯が落ちそうになりながら掛け声とともに息を合わせ上げていく光景は、まばたきができないほどの圧巻。見事にピラミッドが完成した瞬間に沸き起こる歓声と一体感は全身を震えさせた。そしてすっかり暗くなった戸畑の中心に、姿を変えた提灯山は競演の舞台へと前進していく。

ふと集結していく光のピラミッドに目をやると、その奥に観覧席があることに気づいた。引っ越してきてすぐに区役所へ来たとき、階段のような外観が珍しいなと思っていたがこのためにあったのか。そういえばこの通りも不思議な形状をしているなと思っていたら、山笠の運行のためだったのか。この祭りのために作られた建物や道路がこれまで大切に守られてきた伝統の深さを知った。
ひしめき合う観衆の前を日本最大規模ともいわれる高さの大山笠と中学生が担ぐ小若山笠の提灯の山々が戸畑の中心を勇壮に動く姿は幻想的でもあり、 やはり目の前で観ると迫力極まりなく地響きのするような男衆の「ヨイトサー、ヨイトサー」の掛け声に観衆からの拍手はフィナーレまで鳴りやまない。

毎年夏になるとあの休日のように、どこからか太鼓の音が聞こえてくるような気がする。
2016年、ユネスコ無形文化遺産に登録されたニュースに跳び跳ねて喜んだ。戸畑を離れても私にとって第二のふるさとの思い出になっている。
210年を越える歴史の中ではじめて中止となった今年。かつて戸畑地区に病疫が蔓延し、須賀大神に疫病退散を祈願した際沈静し(御神徳により平癒)山笠をつくり祝ったことを起源とされている戸畑祇園山笠。継承されてきた歴史が、また新たな形で幕を開け全身を震わせたあの感動と育ててくれた人たちや味に会いに新たな家族と訪れる日をひそかに願っている。そのときは遠くに若戸大橋を望み、戸畑を眺められるあの特等席から眺めてみたい。

著者:塚本 美香さん