エッセイコンテスト「第1回 キタキュースタイルカップ」 奨励賞受賞作品
勝山公園に行けば、幼い私がいる。
春の土の匂いも、もりもりと栄える夏の雲も、カサカサと鳴る葉を踏む音も、吹き抜ける冬の風の痛さも、まだずっと覚えている。
嬉しい日も、悔しくて涙した日も、あの場所は私を知っているし、姿を変えてもなぜか、あの場所に戻りたくなるし、ちょっと心が斜めな時は、逆に見透かされるようで行きたくない。
いろんな人と、いろんな風景が、いろんな私の目の前をとおり、いろんなことを思った。今も緑は鮮やかで、いつでもだれでも、どうぞと受け入れてくれる。そっと土に埋めた四つ葉のクローバーは土にかえったのだろうか。ランドセルを背負ったまま、友だちと口にしたツツジの蜜はとても甘くて美味しかった。
勝山公園に行けば、子供から大人へ行きつ戻りつする私がいる。
大きなタコのすべり台は、登るのも、すべり落ちるのも、成長と勇気の証。コンクリートで作られた大きなキリンや、さらには象の背中に乗るなんて勇者でしかない。あれは、アフリカのイメージだったのかな?そんな勝山公園に行く日は、お天気が良くて楽しい日と決まっている。
すべり台まわりのさらさらの砂の上を、ザクザクと裸足で歩いたあの感覚が今でも足裏が覚えていて、焼けたコンクリートの遊具は熱く、小高い丘に生える草は少しばかりひんやりとしていた。記憶の中の空はいつも青くて、自販機のジュースは冷たすぎた。そんな日はもちろん、タコのすべり台は満員御礼。タコの中では順番待ち。急なすべり台を自分より年下の子が躊躇なくすべるもんだから、私だって、と、ドキドキしながらすべり落ち、何食わぬ顔を見せる。とてもお姉さんになった気がしたのを確かめるように、またもやタコにへと挑む。その繰り返しが、もう楽しくて楽しくてしょうがなかった。「勝山公園ってすごい」理由はわからないけど、私たちのワンダーランド。そう、母と来た日は、ゴーカートにだって乗ったりして、もう満足な一日。
私が少し大きくなり、靴に砂が入るのが嫌になってきたときに、ゴーカートが無くなってしまった。もういいの、私はゴーカートには乗らないから。キリンの背中にも、象の背中にチャレンジしようなんて気持ちもないし、タコのすべり台にも、もう行かない。でも、でも、勝山公園には行く。人の気配が少なくなる夕暮れには、シマウマの背中に乗ったりして。あの時、本当は裸足で砂の上を歩きたかったのかもしれないな。子供大人の私のプライドが、そんなことを許さなかったのは、今でもクスっとなる思い出。
そのころから、勝山公園の目指す場所が変わった。
通りを渡った向こう側。「大人の勝山公園」と呼んでいたりもした。シックな噴水があって石畳。こんもりした丘にはツツジかサツキがうわっていて、ちょっとした迷路。てっぺんには小さな東屋があった。あちら側には図書館があって、とにかく大人の空間。小学校の時には何にも用事も魅力も感じなかった大人の公園が、たった少しだけ成長した自分の居場所になるなんて、なんだかむずがゆく嬉しくて、もう戻れないような気がして寂しかった。
タコのすべり台がある公園では、ワイワイガヤガヤ。遊びに行くのも何人かで自転車で乗り付けて日暮れまで遊んだりしていたけど、大人の勝山公園には、ひとりで行くかボーイフレンドという名の好きな男の子と行くことが多かった。遊歩道沿いにあるベンチで時間を忘れて話したり、時にはツツジの迷路を抜けて東屋を目指すも、先客の先輩カップルがいて気まずい思いを何度もしたっけ。ジュースもお菓子もないのに、ずっと話をしていて、でも何を話したとかあまり重要ではなくて。その雰囲気とそのスチエーションに満足していた。そう、恋だったから。恋は公園で起こるんです。そう、教科書通りに。
図書館の静けさが気持ちよく感じるようになったころには、小さな「親と子の図書館」に入る理由がなくなってしまって、靴を脱いで寝転んで本を読んだりしたあの頃を思い出すと、なんだか急に母に電話をしたくなってしまった。0歳から小倉祇園に参加して、保育園の遠足は到津遊園地、チンチン電車に乗って魚町に行き、母と銀天街を歩くのが楽しみで、井筒屋の屋上は小さな遊園地、旦過市場で夕飯の買い物をした。
大きく感じた図書館で、私はしばしば勉強をするようになった。同じ学生や社会人、年配の人が静かに座る。その中で勉強の合間に本を開くと、ふと自分を振り返ったりして、何のために生きているのかとか、何のために死んでいくのかとか、ぐるぐる答えのない問いをして頭がぼーっとしたり。目についた恋愛小説を手にした日には、まだわからぬ世界と憧れに胸がキュンとして、誰もこの顔を見てはいないだろうかと、ハッとしたりして。
あれから、もう30年も経った。
あの緑の屋根の下には、たくさんの蔵書と上等な空気の中に、アオハルな私がきっと今もいる。
作者:原田 きらりさん