エッセイコンテスト「第1回 キタキュースタイルカップ」 入選作品
私にとっての北九州は、門司に住んでいた祖父母の家でした。
北九州出身の母は、学校が長期休みになる夏と冬に娘の私たち姉妹を連れて、門司にあった実家に里帰りしていました。二十年以上も前のことです。
まだ都市高速道路が整備されておらず、三人の子ども連れでの長崎から門司までの道のりは、四時間近くかかっていたのではないでしょうか。姉も妹も寝息を立てている中で、私は一人だけ眠い目を擦りながら起きていました。姉妹の誰よりも一番に祖父母に飛びつきたかったのです。運転中の母は「着いたら起こしてあげるから眠っていていいのよ。」と何度も声をかけてくれていましたが私は粘っていました。
でも子供の私にとって、睡魔はあまりにも強く…。気が付くと夜で、車は止まっていました。母が荷物を下ろし始めていて、車内にはもう私一人しかいませんでした。窓から外を見ると、姉と妹が祖母に抱きついているのが目に入りました。「私が一番がよかったからがんばって起きてたのに!」とは、子ども心にも恥ずかしくて言えず、とぼとぼ歩いて一番最後に祖母に抱きしめられるのでした。
祖父は足が悪かったため、食卓の椅子に腰かけて私たちを待ってくれていました。近寄ると一番小さな妹を膝に抱えて、姉と私の頭を交互に撫でてくれたことを覚えています。
和室と食卓の間の柱には、私たちの身長が刻まれていて、来るたびにどのくらい伸びているのかいつも楽しみでした。測る役は毎回祖母でした。私たちを一人ずつピンときをつけさせて、私たちの頭に本を置き柱に印をつけていきます。私たちは祖父母と母の温かい視線を感じながら、ピンと前を向いてきをつけするのでした。
里帰り中、一度は必ず到津動物園に連れて行ってくれていました。入り口ではクジャクの門が出迎えてくれていましたね。祖父母は基本お留守番でした。私たちのお土産話を、いつもニコニコと楽しそうに聞いてくれるのでした。一番笑いをとれたのは、母の緑のワンピースがヤギに食いちぎられた話でした、余談ですが、実話です。
私は、祖父母の家の前のデコボコの坂道が好きでした。お人形が躍る置時計が好きでした。石の敷き詰められたお風呂が好きでした。玄関の日に焼けたぬいぐるみ、怪我したら登場する赤チン、裏の細長いお庭、缶カンに詰められた昆布飴、たくさんのスカーフが掛けてある衣装ダンス、祖母が揃えてくれた子供茶碗、祖父の歩行器の音、思い出す全てが好きでした。二十年以上前には特に何も思わなかったこの在りし日を今さら懐かしく思うのは、私も大人になったということなのでしょうか。
私も出産を経験し、歩けるようになったばかりの娘を連れて長崎の両親のところへよく里帰りをするようになりました。孫を嬉しそうに抱き寄せる両親を見ると、こちらまで嬉しく、また何故か少し気恥しく、そして安心するような気持ちになります。「あの時、母もこんな気持ちだったのか。」としみじみ感じます。両親の娘として、また我が子の母としての里帰りを、今しばらく楽しもうと思うのです。そして、娘もどうかこの日この光景を懐かしく大切に思ってくれる時が来ますように、心の中で願うのでした。
祖父母が門司の家を手放してから、私は十八歳になるまで、北九州を訪れていませんでした。大学進学を機に長崎を離れ北九州に来ました。そしてこちらで就職し、生涯を共にする男性と出会い、子どもに恵まれ…。聞けば私の両親の出会いもこちら北九州の某大学学生時代だと言います。なのでこの北九州の地とは、何か縁のようなものがある気がしてならないのです。
私たち家族を育み、そしてこれからも育んでくれる北九州の地…。思い出とともに大切にしたいですね。両親には、娘を連れて行った「到津動物園」改め「到津の森公園」に、今度は孫の手を引いて遊びに行ってもらう予定です。
作者:yaaさん