水、清くない我が町キタキュー【エッセイコンテスト 入選作品】

エッセイコンテスト「第1回 キタキュースタイルカップ」 入選作品

齢46歳。
産まれてほとんどをキタキューの地で育ちました。
若松生まれの折尾育ち。
そして、娘も15年間、キタキューの地で育ちました。

そんなキタキュー生え抜きである私はほんの2年前までは
「キタキュー?
そんな田舎に興味ないし♪」
と笑い飛ばしてた訳です。
自分が生まれ育った町に対して、好きかどうかすら考えた事がなかったのです。

【キタキュー探索のきっかけ】
時は昭和48年、若松区二島駅前団地に生を受けます。
最近では新型コロナウィルスをきっかけにトイレットペーパーがなくなりましたが、それと同様にオイルショックでトイレットペーパーがなくなった年に産まれました。
余談ですが、新型コロナの影響で買い溜めした製品って、他国では
ドイツ:ジャガイモ
イタリア:パスタ
みたいに、主食になり得る…つまり命に直結したものなのに日本人はなぜかトイレットペーパーがなくなるんですよね、ちょっと不思議です。

そんなオイルショックに私は、そのまま地元の二島小学校→二島中学校と少年期を過ごしました。
二島小学校は、第二次ベビーブームで生まれた子供たちが通う学校です。私の記憶が正しければ、最大1500名以上のマンモス校だったと記憶してます。1学年10~11クラスあったと思います。
流石に青空教室はなかったですが。
二島中学校は新設された中学校だったんですが、ここで私はイジメられることになります。
ま、ケンカが弱かったんで当然と言えば当然なんですけどね。
(学生時代のヒエラルキーは田舎に行けば行くだけ腕力に比例する事になる。)

そんな学生時代を送ったものですから、キタキューなんてクソくらえって思ったのかも知れませんね。
そこから数十年経ち、キタキューから博多に通勤していた46歳の時の出来事。
当時私は、父子家庭で中二の娘と二人暮らし。
ある朝、その娘が私の姿を見てひとこと。
「お父さん、仕事面白くなさそうなのに、何しに行ってるの?」
刹那!
あぁ、娘に格好悪いところを見せ続けてしまったんだ…
と、反省する暇もないほどのスピードで2週間後に退職しました。
これが、キタキュー探索のはじまりになるのです。

【無職の忙しさ】
無職になってからは、思い立ったら吉日、つまり毎日が吉日。
働いていた時より多く外を出回っていました。
ある時は、学生時代に遠足で訪れた高塔山なんて行ってみました。
でも、訪れたのは遠足とかでは絶対に行かない、大人になっても知る人ぞ知るという場所。「ベラミ山荘」です。

もう、色々びっくりして調べまくりましたよ。
かつて、炭坑が盛んな時に存在した伝説のキャバレー「ベラミ」。
そこのホステスの寮になっていたというのがベラミ山荘との事。
というか、この時代のキャバレーの方が今よりも福利厚生がしっかりしてたんだと思いますよ。
ホステスさんが住むところをちゃんと提供して、且つ子供がいればみんなで交代で面倒を見る。
何かあっても“生きていく”って事は保証されてたんじゃないかと思います。
因みに、ベラミって美輪明宏さんやカルーセル真紀、あき竹城さんとか出演してたそうです。
更にここから深堀します。且つてこのキャバレーベラミで踊り子さんだったご夫婦のトークショーを聞く機会が訪れたのです。
そのご夫婦は70歳か80歳だったんですが、当時のお話を聞く事が出来て
「あ、間に合った」
って思ったのを覚えてます。
いつこの話が聞けなくなるか分からないんだ、と。
このキャバレーベラミだけでなく、様々な実体験をした人の話を聞ける機会は今後どんどん減っていくんだろなぁ、と実感した瞬間でした。

【いつまでも元気のよい年寄り】
この経験をしてから
「いつ死ぬか分からんジジババの話を聞いてやろう!」
という気持ちが芽生えてきました。
ある時、折尾の居酒屋で飲んでいると、ある噂を耳にしました。
堀川沿いの小料理屋に84歳のおばあちゃんがやってるお店があるというのです。
これは行かねば!とは思うものの、実は20年以上折尾に住んでいるのですが、堀川沿いの小料理屋には足を踏み入れた事がなかったのです。
ちょっと怖くないですか?
ですので、今までならそんな話を聞いたところで眉毛一つ動かさなかったでしょう。しかし、今は違います。
是非、そのお店に行きたい!
そう強く思うものの、お店の名前は分かりませんでした。しかし、もうそれしきの事では心は折れません。だって、そのおばあちゃん、いつ死ぬか分からないんですもん。

そうして、いざ堀川の小料理屋へ!
と言ったものの、非常に入りづらい。やっぱり怖い。
まず、小料理屋の暖簾をくぐる…という敷居が非常に高い。そして、そのお店から出てくるお客さんの敷居が高い。
どんなお客さんなのか…勇気を出してお店に入ろうとした時、お客さんが2名お店から出てきました。
おふたりとも年のころは70歳は優に超えていたと思います。そのお客さん、お店から出て来るや否や、
「やるんか、きさーん!!!」
と、手に杖を持ちつつも今にも殴りかかろうとする勢い。こんなお客さんばかりがいるお店に行けるのか、俺。
もう、84歳のおばあちゃんなんてどうでもいいかな…とも思いましたが、清水の舞台から、いや堀川へダイビングするつもりであるお店ののれんをくぐりました。

この人がお目当ての人なのか、とおかみさんのお顔を確認します。確かに高齢ですが84歳とは思いません。しっかりとした飯塚弁でメモも取らずに注文を捌いて行きます。
ここじゃなかったかとやや落胆しつつも、ここで情報を仕入れればいいやと話し始めます。
ところが、84歳のおばあちゃん…基、おかみさんこそがお目当ての方だったんです。
それが分かるや否や、50年以上続けているこのお店の事や折尾の町の事を根掘り葉掘り聞かせて貰いました。
それから何度もその店に足を運び、地域の事だけでなくそのおかみさんの人生の事についても沢山教えて貰いました。

あ、折尾の、しかも堀川の小料理屋ですからね。そんな良い話ばかりじゃありませんよ。先ほどお話ししたような元気の良いジジババが沢山来る訳です。ジジイに至ってはまだまだ血気盛んであの調子。ババアに関しては、
「あら、おにいちゃん良い男やねぇ♪」
とまぁ、何度も逆ナンされた事やら…

そしてそのお店も昨年5月に無くなります。おかみさんの85歳の誕生日を待たずに。
また、私はなんとか間に合ったのでした。

【老若男女、仲良く喧嘩しな】
私は、頭が固くて未来を考えてないお年寄りが大嫌いです。
でも、沢山の経験をして今のキタキューを作ってくれたお年寄りは尊敬しています。

「俺は八幡市民だから、小倉市民は嫌いなんだ!」って、未だに五市合併前の事で愚痴るお年寄りは大嫌いです。
でも、朝から飲んで夜からストリップ行って、夕方には千鳥足で歩くお年寄りは大好きです。

古く汚いキタキューの一面を認めながら、新しく手を取り合っていくキタキュー。
こんなに面白い街は日本広しと言えども、他にはないと自慢できます。

作者:トーヤさん

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