6月25日に北九州芸術劇場で「糸井版 摂州合邦辻」を上演 木ノ下歌舞伎・木ノ下裕一さんインタビュー

現代における歌舞伎演目上演の可能性を発信する木ノ下歌舞伎が、7年ぶりに北九州芸術劇場に再登場します!
演目は「摂州合邦辻(せっしゅうがっぽうがつじ)」。
説経節「しんとく丸」や「愛護の若」を元にし、人形浄瑠璃、歌舞伎、文学、演劇と時代により形を変えながらも古来より脈々と語り継がれてきた名曲、物語です。

「糸井版 摂州合邦辻」の上演を前に、木ノ下歌舞伎を主宰する木ノ下裕一さんにお話をうかがいました。(取材日:2023年4月22日)

――北九州での公演は何年ぶりでしょうか?

公演としては2016年以来7年ぶりですが、劇場塾2017・劇場塾2020のオープンレクチャーにて古典芸能入門講座の講師を務めました。コンスタントにご縁をいただき、うれしいかぎりです。

――北九州の街にはどのような印象をお持ちですか?

小倉駅から劇場へ向かう途中、商店街や市場を通りますがいろんなお店があり、活気のある街だなぁ!という印象です。文化的にも、お城や美術館や記念館などが比較的近距離に集まっていて、徒歩でも一日楽しめますよね。電車で少し行けば平家ゆかりの門司や壇ノ浦もあって歴史的にも奥深いですね。

少し時間があったので小倉駅前の本屋さん(編注:セントシティの喜久屋書店)に行ってきました。お店が広い上に、本のセレクトが素晴らしくて!売れ筋だけを並べているのではなく、マニアックな本もちゃんと置いてある。店員さんがしっかり小倉のお客さんと向きあっていることや、小倉のみなさんの興味・関心の在り処がよくわかり、感動しました。

――ありがとうございます。では木ノ下歌舞伎さんのご活動と今回上演される「摂州合邦辻」についておうかがいします。
まず、木ノ下さんが古典演目を現代演劇として上演しようと考えた背景やきっかけをお聞かせください。

古典に興味を持ったのは子どもの頃です。小学校3年生のときに落語にハマり、のちに人間国宝に認定される(三代目)桂米朝の落語に出会ったんです。
あまりに好きすぎて、4年生のときのクリスマスに、サンタクロースが「米朝落語全集」(創元社刊)の第1巻を枕元に置いてくれたんです。なかなか粋なサンタクロースでしょ(笑)。

その「全集」にあるご本人の解説に、伝承が途絶えていたり、時代に合わなくなった落語のネタを、自分なりに換骨奪胎して復活させていると書かれていたんです。

それまで私は、古典芸能というものは昔から一言一句変えずにずっと同じように演じていると思っていた。でも実際は、時代とともに変化しているし、米朝師匠のような方が意識的にアップデートしてきたのですよね。そこに驚きと憧れを抱きました。このことが今の仕事に繋がる原体験ですね。

また、落語はいろんな古典芸能をパロディー的に引用しているところも多いので、自然とほかの芸能にも興味関心が広がっていきました。

でも、小学生のお小遣いでは限界があるし、出身地の和歌山市では古典芸能の公演はそんなに多くなかったので、今すぐに全部をフォローするのは到底無理なので、ひとまず将来の設計を立てました。

小学校の残り3年間は落語に専念し、中学校に入ったら歌舞伎、高校に入ったら文楽、そして大学に入ったら能狂言を見ようと、伝統芸能の中でも新しい順に遡っていく計画を立てました。おおむねその通りに進んだのですが、当然〝古典沼〟にはまっていくわけですよね(笑)。

ちょうど僕の高校時代というのは、歌舞伎の中でも、例えば中村勘三郎さんが演出家の串田和美さんとタッグを組んでコクーン歌舞伎を始めたり、二代目市川猿翁(当時は猿之助)さんによるスーパー歌舞伎や、歌舞伎をモチーフにした現代演劇で上演する花組芝居さんなど、伝統と現代が出会うような画期的な試みがすでにたくさんあって、これらに巡り合ったことで、古典の演目を現代演劇として上演する仕事に憧れを持ちました。

もう一つの流れとして、小学校のときって古典芸能の面白さをなかなか友達に理解してもらえなかったんです。米朝を知らない子に米朝面白いよって言っても分かりませんよね。

でもそこで諦めてしまうとどんどん孤立していくので、手を変え品を変え、友達に面白さを伝える努力はしてきたように思います。例えば小学生時代は見よう見真似で落語を教室で披露したり、高校では「古典芸能新聞」みたいな手製のプリントを作ったり、大学で文楽鑑賞ツアーを企画したり。

自分が面白いと思っているものを、どのように紹介すれば興味がない人にも伝わるかということをずっと考えてきたように思いますし、今もそこに一番興味関心があります。

ですから、いま木ノ下歌舞伎でやっていることには、古典芸能の面白さをどうすれば見たことない人にも体感してもらえるか、ということが根本にあります。

――木ノ下歌舞伎を続けてきて大変だったことを教えてください。

大きく分けて二つあります。

一つは内輪的大変さ、もう一つは社会的大変さ。

木ノ下歌舞伎には所属の俳優さんがいません。毎回作品ごとに俳優さんや演出家を招いて作品を作るスタイルなんですね。

演出家には、私が演出家をバックアップしながら創作を進めていきます。

例えば「現代劇としては面白いけど、古典芸能の文脈で見ると不十分ですよ」というアドバイスをすることもあるし、相談役になることもある。座組の個性や演出家の志向によって私の役割も微妙に変化するから、コミュニケーションには正解がない。いつだって悩みながらやってます。

演出家にしても俳優にしても歌舞伎との距離感はまちまち。そこから、歌舞伎を面白いと思ってもらわないといけない、でも、押し付けになってはいけない。そして演出家がフルで力を発揮して、かつ古典の文脈で見たときにもそれがしっかりとした作品でなければならない、これらのバランスを取りながら座組の士気を上げていき、作品のクオリティを上げていくのは結構な重労働です。

これが「内輪的大変さ」です。

「社会的大変さ」の社会とは、観客のことです。

木ノ下歌舞伎はいろんなお客様が見に来られます。演出家が好きだから、または俳優さんが好きだから見に来た、というお客様もいますし、一方で歌舞伎が大好きで古典芸能をよく見ているけど、たまには現代的な試みも見てみようとお越しになる方もいます。

お客様の見たいものはまちまちなので、多様な客席になります。その中で、全てのお客様にフックを用意するのは大変です。

また、古典には「思い入れ」の強い方がたくさんいらっしゃいますよね。

今回の「摂州合邦辻」は玉手御前という女性が主人公なんですが、玉手のことがすごく好きだという方がたくさんいらっしゃるんですよね。

みなさんの中に、“私の玉手”というイメージがあるんです。好きな俳優さんが演じた玉手御前、本を読んだ中で自分の解釈した玉手御前、などさまざまな玉手御前がいるんです。

皆さんが大切に思っているあまり、「私が思っている玉手御前と違う」となることもあれば、「私の大切な玉手御前に何てことをしてくれたんだ」と憤りに変わることもあります。

多くの方が大切にしているものを使わせていただき、「あなたの解釈とは違うかもしれないけど、これもありでしょう?」と提示して納得してもらうのは結構大変なことです。

「私の思い描いていた玉手御前ではないけども、そういう側面も玉手にはあるから……」と納得して帰ってもらえるか。「こんな描き方は玉手に対する愛情が足りない」と怒って帰られるかは雲泥の差です。

今回のように公共のホールさんとタッグを組ましてもらったりすると、さらに期待されることが増えるんです。

こういう悩みを一生背負い続けるんだろうなあと思っています。

――俳優さんや演出家の方が毎回変わるのはどのような理由でしょうか?

木ノ下歌舞伎という劇団が「プラットフォーム」のようになればいいと思っています。

海外では、オペラを若手演出家が手がける、シェイクスピアの作品を現代的に演出する、といった例がたくさんあります。日本では、シェイクスピアの作品はいろんな演出家さんが手がけていますが、能や歌舞伎に現代劇の演出家や俳優が取り組む例は非常に限られています。

私は日本の古典の演目に触れたことのある演出家や俳優を増やしたいと思っていて。そのための実験や体験の場として木ノ下歌舞伎が機能すればいいなと思っています。一定期間みっちり歌舞伎に向かい合うなかで、「日本の古典もなかなか面白いじゃん」と感じてもらえたり、自分の表現を改めて見つめ直すような機会になれば本望です。

――今回の「摂州合邦辻」上演への意気込みをお聞かせください。

古典を見ることの意味は二つあると思っています。

一つは、「わかるわかる」って思えるってことだと思うんです。

今回の「摂州合邦辻」は江戸後期の作品なので250年ぐらい前の話なんですよね。
だけど、娘と父親がこういうふうにすれ違うことはあるよな、急に病気になり周りに気遣うあまり心を閉ざすこともあるよな、そっちに行ってはいけないことはわかっているのに、自分の欲望が抑えられずそっちに突っ走っちゃうことあるよな、わかるわかる。って250年後の今でも思えるのがっていうのが大きいと思うんです。

だから自分が今悩んでいることは、昔の人も同じように悩んできたんだ、と思えることが古典を見るときの意味の一つかなと思います。

もうひとつ「わからない」っていうことも、すごく意味のあることだと思うんですよね。
今回の「摂州合邦辻」は、ざっくり言うとさまざまなしがらみのあるホームドラマなんですが、その背後に宇宙や天体といった壮大なものがあるんです。

俊徳丸という男性に玉手御前という継母が恋をして追いかけてドラマがどんどん展開していくんですが、実は俊徳丸が太陽の象徴として、玉手御前が月の象徴として描かれているんですよね。

だからその背後「太陽」が昇って進んでいく、そのあと「月」が出て追いかけるという、大きな天体の流れとリンクしてくるんですね。原作もそういうふうになっているんです。自然や宇宙、天体などと自分たちがリンクしてる感覚っていうのは、現代人が失くしている部分だと思います。

古典を見ることで、失くしてしまった感覚をもう一度取り戻せるかもしれませんし、世界の捉え方が変われば、自分自身の見方にも変化があるかもしれません。

この“共感できる”ことと“教えてもらう”ことの二つを、作品を作るときに大切にしています。
今回の「糸井版 摂州合邦辻」だけでなく、他の木ノ下歌舞伎の作品も、この両方を観客に手渡せるように、と考えながら作品を作っています。

「摂州合邦辻」は“共感できる”“教えてもらう”の両方を味わってもらえると思っている作品なので、ぜひ多くの方に見ていただきたいなと思っています。

――今後木ノ下歌舞伎さんとして挑戦していきたいこと、取り組んでいきたいことを教えてください。

もちろん“良い作品を作り続けること”が大前提としてあります。

歌舞伎を現代化していくことはすごく手間のかかる作業です。演目の歴史を調べたり、資料集めたり、ちょっと学術っぽいところから始めたりするので、時間がかかるんですよね。1本作品作るためには2年とか3年かかるんです。そんなに量産はできませんが、コンスタントに作品を作っていこうと思っています。

と同時に、今私「公共」というものに関心を持っています。公共ホールの「公共」だけではなく、劇団にも公共性っていうのがあると思うんです。

木ノ下歌舞伎の公共性というものを、改めて考えたいなと思っているんです。

木ノ下歌舞伎自体、もちろん良い作品を作って作品で勝負したいとは思っているんですが、同時に古典って面白いでしょ?この作品を見た後に歌舞伎や文楽の「摂州合邦辻」を見てみたくなりませんでしたか?など、「ひらいて」いくことをしていきたいと思っているんです。

「ひらく」にも「開く」「啓く」「拓く」などいろいろありますよね。

今までやってこなかったことやっている、つまり古典をシェイクスピアのように扱えないかっていうことを「開拓」しているとも言えるし、古典の啓蒙ともいえる。「ひらく」って、多くの人にオープンにする、分け隔てなく手渡すってことだから、一種の「公共性」って言っていいと思う。

なので、これからはどううすればよりいろんな人に届くか、どうしたらより知的好奇心を刺激することができるか、といったことに一層力を入れていきたいなぁと思っています。

具体的には、障害のある方に向けた「鑑賞サポート」というものをやっているんです。

今回、北九州芸術劇場の公演では、聞こえない、聞こえにくいお客様向けに字幕が流れるタブレットを用意します。これは、専門の方が作成してくれた字幕を私がチェックして、時々要望をお伝えしたりしながら作っていますが、その作業がとても面白い!例えば、歌のシーンでは、音の波形のアニメーションが出たり、歌詞の部分がカラオケの画面のように徐々に字の色が変化したりと、一目で音楽シーンだなということと、今どこを歌っているのか、などがわかるように工夫されているんです。「これいいですね」とお伝えしたら、「当事者の方からのアドバイスいただいて開発したんです」とおっしゃっていて、そうやって、当事者の方の声に耳を傾けながら、どうすればもっとよく伝わるかを考えていくのって素敵だなと思いました。

「鑑賞サポート」ってそんなにまだ定着していないので、しっかりやってきたいと思っています。公共ホールにばかり頼るのではなく、劇団が率先して作らないといけないとも思うんですね。
なぜかというと、作品のことを一番わかっているのは、やっぱり劇団だから。

字幕タブレットも単なる字幕データを流し込むだけじゃなくて、ここでどういう効果音が鳴っているか、など少し踏み込んで書かないといけない部分が多いんですよね。作品をどう見せたいか、何を表現したいかにより、文字の配置などが変わってくるんです。それは公共ホールに任せっぱなしにするのではなく、劇団が自分たちの考える字幕にしていかないと駄目なので、公共ホールと劇団が協働しながら作っていくべきだと思います。

あとは予算の関係どこまでできるか分かりませんが、無料で配布するパンフレットを今までよりも手厚くしたいなと思っています。

木ノ下歌舞伎は今までも人物相関図や簡単なあらすじなど、鑑賞の最低限の手引きになるような当日パンフレットを作っていたんですが、これもやはり「公共性」なので、もう少し情報量の多いものにしたいなと思っています。

“作品”と鑑賞サポートやパンフレットのような“作品以外”は密接に関わっていることなので、ここでも「ひらいて」いくことを意識したいと思っています。

――ありがとうございました。

日程・会場

J:COM北九州芸術劇場中劇場
2023年6月25日(日) 13:00
※開場時間は決定次第お知らせします。

料金

全席指定
一般:3,500円
ユース:2,000円(25歳以下、要身分証提示)
ティーンズ:1,500円(13~19歳、入場時要身分証提示、枚数限定)

※未就学児入場不可

チケット取扱

劇場窓口
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電話 093-562-8435(12:00~17:00土日祝を除く)
響ホール事務室

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