十三年目の、東京のカフェで。  《第2回エッセイコンテスト優秀賞》

はじめましてのあと、そういえば、とKが切り出した。
「福岡出身なんです、自分も」
「お、福岡。市内です?」
 窓越しの、東京の空はよく晴れて眩しい。
ことばの端に、懐かしいものを探そうとするわたしに、彼はちょっとだけ申し訳なさそうな顔で言った。
「や、福岡市ではなくて、北九州市なんですけど」
「え? 北九?」
「わかります?」
「わかるも何も。わたしも北九、八幡だし。ていうか」
まじですか、と畳みかければ、育ったまちは最寄駅まで同じであった。
「なんしよんが通じる、てやばくない? だいたい、浅小、浅中てやばかろ」
周囲を差し置いて、つい話し込んでしまう。こっちじゃめったに会わんやろ。高まるやろ。などと大騒ぎするわたしに彼の友人もマスターも笑う。
「そんなに珍しいの?」
「めったにおらんって」
その実、ここで同学区の人と知り合うのは初めてだった。
四度目のまじですかまでに判明したのは、小学校が同じであること、中学校が同じであること、今はないスーパーマーケットで買物をしていたらしきこと(店先の、焼鳥屋台の香りもきっと知っているはずだ)、それから、氏神様が同じであること、行きつけだった床屋のこと、スペースワールドが好きだったこと、折尾駅周辺の、以前の様子を知っていること。
「果物、なんでも大丈夫?」
キッチンで張り切るわたしはメロンも大きく切って、Kのためにたっぷりのパフェをあつらえた。そうして、「最近は、帰省のたびに驚かされる」と頷き合いながら、取り壊された旧い建物の思い出をつなぐ。
「かしわめしの良さは、こっち来てから気づいたし」
「わかる」
生まれ育った場所が同じというだけで、ふるい友達に会えたような気持ちになるのだから、不思議なものである。故郷のことばを重ねるわたしたちの、乗り合わせたかもしれないいつかの電車が、記憶の駅に停車した。
―次は、折尾。折尾。
赤と黒のコントラストのつよい車両の、シルバーの車体に、くっきりした椅子。ボックス席にくつろいでサンドイッチを頬張ったことをおもい出す。やがて、駅前のビルがなくなり、駅舎は建て替わり、周辺の街並みも再開発の中で、一変した。
「あたらしい駅、もう見た?」
「いや、まだなんです」
「かなり変わったよー。こないだ帰ってびっくり」
立ち食いうどんの出汁の香りや、かしわめしを売る伸びやかな声におもいを馳せ、ついぞ確かめた景色を重ねる。モダンで明るくなった駅には、階段もエレベーター整い、ホームはわかりやすく広々と、あたらしく入ったテナントは小洒落たフォントを躍らせていた。急勾配の階段と、煉瓦造りのトンネル屋根はすっかり面影もなく、大きな硝子のケースも、とうにない。
「ながいこと、ばーちゃんが花生けさせてもらっとって」
「まじですか」
いくつもの待ち合わせを引き受ける場所で、人々を迎え、見送る、季節の生け花。そっとあった花々をおぼえてくれている人に出会うと、切ないような、誇らしいような気持になる。
「そういうの、もうないんですかね」
「どうやろ。今は、みんな忙しいし。花愛でる余裕があるかどうかは」
当時の佇まいを知る人はおのずと減っていき、かつての空気を知らぬ人たちが増えていくことには、どうしたって、さみしさもある。けれども、すっきりとあたらしくなった屋根の下、それぞれの場所へ向かおうとする顔には、みずみずしい笑顔も若さもあった。ぐるり見晴らしのよくなった構内の、まばゆい光に、勝手なことばかりをおもったり、願ったりしてしまう。
「ぼくも、また帰らんとですね」
ひとしきり話したKは、パフェを食べ終え、仲間たちの輪に戻った。マスターがコーヒーを淹れ、わたしは器を片付ける。きっとまた来ます、と席を立つ頃には陽が落ちて、いくらか涼しい。扉を開ければ、夕暮れに、雲が細くたなびいていた。灰がかったやさしい色は、育ったまちで見上げたそれと、よく似て見えた。出窓には、朝に挿した向日葵がゆれる。

作者:中川マルカさん