北九州市出身者がたまに帰りたいと思うちょうどいい北九州市の魅力

 「福岡出身です」というと「ラーメンが美味しいよね!」「博多どんたくがすごいよね!」と言われ、「北九州出身です」と言うと「手榴弾が落ちてるんでしょ?」「成人式がすごい派手だよね!」と言われる。
 北九州から上京して10年、出身地を聞かれるたびに同じような話が繰り返される。仕事の席であれば「出張で行ったことありますよ!」といった話になることもあるけれど、飲み会の席では上記のようなネガティブな話題(少なくとも私としてはネガティブだと思っている話題)でネタとして消化されることも多い。言った相手も半分くらいはネタだと思っているだろうし、強めに否定するのもなんだか違う気がして「そんなことないですよ!」と笑い飛ばすけれど、正直なところうんざりしている。私はこれまで手榴弾を見たことがないし、「北九州の成人式」として取り上げられているのは、ほんの一部のことでしかない。ただ、それ以外に話題が広がるようなものが知られていないので仕方ないのだと思う。
 印象は、他者が勝手にタグ付けしていくもので、当事者にはどうしようもないものだと諦めていた。でもきっと諦めてきたから、今こういう結果なのだろうし、今から少しでも変えられるなら、真摯に「私が過ごして感じた北九州という場所」について伝えていきたい。

 正直私は上京するまで、北九州がそんな派手なタグがつけられているとは思っていなかった。むしろ北九州には何もないと思ったから上京した。当時小学校圏内にコンビニなんてなかったし、スマホもまだなかった。パソコンはたまにしか触らなかったために、県外の情報が入ってくるのはテレビとラジオだけだった。刺激が何もなかった。けれど今考えると、それがよかったと思う。

 朝起きて、ポストに投函された新聞をとり、テレビを見ながら支度をする。バス停にいくと、いつも同じメンバーがいて、毎日同じ道で同じ人が乗り込む西鉄バスで通学する。満員になりすぎることはないから痴漢もなかった。学校で授業を受けた後は、部活や塾に行き、友達と話しながら帰る。帰り際、友達と300円のラーメンともちゃんぽんともいえない、けれどおいしい「とくちゃん」を食べたり、日の峰山の頂上でテスト勉強や宿題を見せ合いっこし、夕日が沈みかけたら、夕日が落ちるよりも先に山を降りれるか競争して帰る。友達と喧嘩したり、失恋したり、部活で負けて辛かったり悲しいことがあれば脇田海岸でマシュマロを焼いてバカ騒ぎしてみたり、御嵜神社で火曜サスペンス劇場のラストを真似て、本音を言い合ったり。

 帰り道、父の友達の家に車が停まっていれば、今日父は車を家において飲み会なんだなと知る。家に帰ればご飯が待っていて、今日あったことを祖父母に話しながらご飯を食べる。魚は近所のおじさんが釣ってきてくれた魚を食べ、お米も昔からの付き合いの農家に届けてもらったものを食べ、その他の食材は週1回の生協で届いたものか、母が仕事帰りにイオンで買ってきたものを消化していく。
 土日は部活にいくか、友達と小倉や博多まで繰り出す。バスは30分に1本、電車も15分~1時間に1本だから、ランチの時間や映画の時間など1日をある程度計算してでかけないと、何もできずに終わる。だから自然と計画的に行動するようになる。でも完璧にうまくいくこともないから、なんやかんや電車に間に合わなかったりして、うまく時間をやりくりするようになる。計画的に、でも寛容に。

 北九州は、今思うと何も考えなくても生きていける、住むにはいい環境だった。派手な成人式も誰かの通過儀礼の一つでしかないし、手榴弾にも出会わない。刺激を求めて上京したくなるくらい、何もない。でもたまに帰りたいと思えるちょうどいい場所、それが北九州だと今は思う。